兵庫県 黒井城 ― 2024年09月16日
黒井城はこの地を所領していた赤松貞範が 1335年に築城したと考えられていますが疑問視する意見もあるようです。 その後の経緯は不明ですが、16世紀前半には荻野氏が黒井城を所領していたようです。 1554年に荻野直正が謀反を起こし、叔父の荻野秋清を暗殺して黒井城の城主となります。 1568年には織田信長の配下だったようですが、その後離反します。 1575年から明智光秀による丹波平定が始まり、直正は最後まで抵抗しますが 1578年に病没します。 1579年に黒井城は落城し、光秀の家臣斎藤利三が城主となります。
1582年、本能寺の変のあと豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴が黒井城に入ります。
1584年のこまきながくてを所領していた赤松貞範が 1335年に築城したと考えられていますが疑問視する意見もあるようです。 その後の経緯は不明ですが、16世紀前半には荻野氏が黒井城を所領していたようです。 1554年に荻野直正が謀反を起こし、叔父の荻野秋清を暗殺して黒井城の城主となります。 1568年には織田信長の配下だったようですが、その後離反します。 1575年から明智光秀による丹波平定が始まり、直正は最後まで抵抗しますが 1578年に病没します。 1579年に黒井城は落城し、光秀の家臣斎藤利三が城主となります。
1582年、本能寺の変のあと豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴が黒井城に入ります。
1584年の小牧長久手の戦いで徳川家康方の赤井氏残党が籠城しますが戦後廃城になります。
丹波市春日住民センター
続 100名城のスタンプはここに置かれています。
まずは、ここでスタンプを押してから黒井城に登る事にします。
ついに、続 100名城最後のスタンプを押す事が出来ました...。
2018年に滝山城のスタンプを押してから、6年ほどかけて完走する事が出来ました。
無料駐車場
黒井城の麓にある無料駐車場です。
綺麗な駐車場で広さも十分だと思います。
興禅寺
駐車場を出て少し進むと興禅寺が見えてきます。
水堀や石垣がある城のようなお寺ですが、どうやらここは黒井城の下館跡のようです。
ここは、春日局の出生地のようです。
斎藤利三はここを陣屋としていたようで、治安が安定すると妻子を呼び寄せ、ここで生まれた「お福」が後の春日局です。 春日局は三代将軍家光の乳母を務め、大奥の実権を握ります。
登山口
黒井城の登山口に到着。
この付近にも駐車場がありますが数台が停められる程度です。
訪問当日も、この付近の駐車場は満車状態でした。
黒井城には、保月城、保築城の別名があり、近くに「保月城址登山口」の石柱もありました。 それら呼び名の由来は良く分かりませんでした...。
登山道には「ゆるやかコース」と「急坂コース」があり、体力的に自信が無かったので「ゆるやかコース」を進んだのですが、こちらからだと「三段曲輪」が見れない事を後で知りました...。
城跡を見学するのであれば「急坂コース」の方が良いかも知れません。
途中、動物除けの冊がありますが通れるように鍵はかかってません。 気温が高く、「ゆるやかコース」でも結構キツかったです..。
石踏の段
坂道を登り続けると休憩所がある開けた場所に出ました。
ここは「石踏の段」と呼ばれる曲輪跡だったようですが、ここまで登ってくるのに必死だったので、訪問時はただの休憩所程度にしか思ってませんでした..。
ここは主郭下にある重要な防御施設だったと思われます。
ここまで普通の山登り状態だったので、ここで少し休憩してから先に進む事にしました。
石踏の段から更に登ると動物除けの冊がありました。
ここでも熊の目撃情報があるようですね...。 今年は本当に熊の被害が多いです..。
ここ扉を開けて中に入れるようになっています。 中に入ったら必ず扉を閉じましょう。
東曲輪跡
しばらく進むと開けた場所に出ました。
多分、この開けた場所が東曲輪と呼ばれている場所で、奥に見える石垣が三之丸の石垣だと思います。 それほど広い曲輪ではありません。
三之丸の石垣はそれほど高くは無く、野面積みのような感じでした。
主郭付近の石垣は 1579年の落城後に築かれたようなので、斎藤利三か、堀尾吉晴が築いた物なのでしょうか? 見学者用の階段で三之丸に登れますが、恐らくこの辺りに城門があったようです。
なお、この辺りから直射日光を遮る物が何もなく、かなりの灼熱地獄でした..。
三之丸
見学者用の階段を登り三之丸の上に出ます。
奥に見える、一段高い場所がニ之丸だと思います。
そこそこの広さがあります。 何かしらの建物があったのでしょうか?
下の方に石垣が見えますが、暑さの為近くによって石垣を眺める余裕がありません...。
とにかく先に進みます...。
二之丸も見学者用の階段があるので、そこから簡単に登れます。
その階段付近から、本丸虎口張出し下の石垣が見えます。
石垣にネットが張ってあるので、崩落の危険があるのかも知れません。
二之丸
かなり広い曲輪です。
これだけの広さなので、何かしらの建物はあったのでしょう...。
奥に見える一段高い所が本丸です。
本丸の石垣ですが、かなり崩落が進んでいるように思え、元の形状が分かりにくい印象を受けます。
各曲輪間を設置された階段で登って来たのですが、虎口が崩落している為に見学者用の階段を設置しているのだと思います。
もしかしたら、少し前はもっと石垣の状態が良かったのかも知れませんね..。
本丸も設置された階段で登ります。 多分、この階段付近が本丸の虎口だったと思います。
本丸
本丸もかなり広いです。 主郭部分の建物については分かって無いようですが、軒丸瓦や軒平瓦、鯱瓦などが見つかっているようです。 瓦が見つかっていると言う事は、結構、立派な建物があったのかも知れません。 江戸時代前に廃城になっているので、資料が残っておらず、当時の建物に関して分かっている事は少ないのかも知れません。
続 100名城最後の一つを登城したのですが、暑すぎてここに滞在する事が出来ません...。
熱中症の危険があるので、すぐに休憩所があった石踏の段まで引き返します...。
本丸から二之丸側を眺めた所。
本丸と二之丸の間には空堀があるのですが、ここから見ても分かりにくいですね...。
当時の姿が失われつつあるのかも知れません。
ついに、日本 100名城、続日本 100名城すべてのスタンプを押す事が出来ました。
ただ、鳥越城は土砂崩れで登れませんでしたし、同時認定された高峯城、有子山城は時間の都合で登れなかったので、時間を見てそれらの城に再挑戦したいです。
でも、我ながら、よく周れたなと思いました。
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