妻籠宿 ― 2013年05月03日
長野県木曽郡南木曽町。 中仙道42番目の宿場町です。
街の名前にもなっている妻籠氏が歴史に登場するのは1432年、室町幕府が美濃国守護土岐持益に命じて材木を妻籠兵庫助に出させた記録があります。
宿場町として栄えた妻籠ですが、明治以降の交通改革により宿場町としての機能を失い衰退しましたが、昭和43年以降、保存事業が始まります。
鯉岩
鯉の形をした中仙道の名所でしたが、明示24年の濃尾頭大地震で頭の部分が崩落し、当時の面影は残ってません。
高札場
江戸時代、法令の通達はこの様な高札場で行われました。 右上の立札は、「きりしたん規制礼」です。 その隣の「徒党逃散禁制礼」は「明治七年」なので、明治に入っても高札は存在していた様です。
脇本陣
本陣の予備施設が脇本陣になります。 大きな藩で本陣では泊まりきれない場合や、藩どおしが鉢合わせになった場合などに使用されました。
普段は一般客も利用したそうです。
本陣
妻籠宿の本陣は代々、島崎氏が任命され庄屋も勤められました。
島崎藤村の次兄広助が養子となり、最後の当主となりました。 建物はその後、取り壊されましたが当時の図面を元に忠実に再現されたのが現在の建物です。
延命地蔵堂
1725年の書上げに記録されています。 堂内には直径2メートルほどの自然石が安置されています。 この自然石は延命岩とも呼ばれ、地蔵尊が浮かび上がると言われてます。
妻籠宿は、保存運動のおかげで貴重な江戸時代の町並みが現在に残されています。 タイムスリップした様な景観を楽しむ事ができます。
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