神奈川県 小田原城2013年09月01日

神奈川県小田原市にある、北条氏の拠点となった城です。 始まりは小早川遠平の居館と言われています。
秀吉の小田原征伐により北条氏が滅亡した後は、領土は徳川家康に与えられ、大久保保忠世に管理させました。
明治時代に城内の建物はほとんど撤去されましたが、小田原城址公園として整備され、昭和35年に天守の外観がRC構造により復元されました。
小田原城・天守

小田原城・天守

小峰橋(御茶壷橋)
江戸城時代の三の丸には出入り口が2つあり、その内の一つである箱根口から入城した場合、この小峰橋を渡ります。 将軍に御茶を献上する御茶を保管する為の蔵があり、この橋を往来した事から「御茶壷橋」とも言われています。
小田原城・小峰橋

住吉堀
現在は水堀として復元されていますが、発掘調査の結果、障子堀が見つかり、北条氏の時代は空堀だった様です。
小田原城・住吉堀

銅門
「あかがねもん」と読みます。 江戸城時代の二の丸の表門になります。
銅門は、住吉橋を渡った先にあります。 現在の銅門は平成9年に本来の工法で復元した物です。
田原城・銅門

小田原城・銅門

小峰曲輪北堀
報徳二宮神社への途中にあります。
現在の堀幅は神社境内の土塁から21m、深さは5m。 実際の掘底は2~3mは深かったと事。 また、障子堀だったらしいのですが、その面影は残っていません。
小田原城・小峰曲輪北堀

報徳二宮神社
小田原城に隣接している神社です。
建てられたのは明治27年なので、比較的最近です。 この神社は小峰曲輪北堀の一角になります。
小田原城・報徳二宮神社

常盤木門
小田原城の城門では一番大きいと言われています。 建てられたのは江戸初期であり、元禄16年(1703)の大地震で一度崩壊した後に再建され、明治3年の廃城まで残りました。  現在の門は昭和46年に再度再建された物です。
小田原城・常盤木門

小田原城・常盤木門

二の丸観光案内所
現在は観光案内所ですが、元は小田原町図書館だったとの事です。
会館したのは昭和8年。 その後、郷土文化館、市役所の分庁舎と転用され、平成6年から観光案内所として利用されています。
二の丸観光案内所・旧小田原町図書館