長野県 上田城2014年05月02日

長野県にある日本 100 名城の一つです。
真田家と徳川家が戦った第1次上田合戦、第2次上田合戦の舞台として有名ですが、現在の姿は仙石忠政によって再建された時の物です。
忠政による再建も忠政が亡くなった事により中断され、江戸時代に本格的は修復は行われれなかったようですが、廃藩置県で民間に払い下げられた時にはそれなりの櫓が残っていたそうです。

ここは大きな駐車場が整備されているのでバイクを停める場所には困りませんでした。 駐車場から目につくのが南櫓と西櫓です。 双方共、切り立った崖の上に建てられており、こちら側から攻めるのは難しかったとおもいます。

南櫓
上田城・南櫓

西櫓
駐車場からの急な坂道を登ると西櫓にたどり着きます。
上田城で現存する唯一の建物で 1626 ~ 1638 年に仙石氏によって建てられました。 普段は内部に入る事はできません。
西櫓

上田城・西櫓

真田神社
明治政府により上田城は建物も土地も売却されてしまいましたが、有志による寄付などにより、上田城内に代々の藩主を祀る神社が建てられました。
真田神社

神社の奥には真田井戸があります。
伝説なのか、本当なのか解りませんが、案内板によると、この井戸からは抜け穴があり、太郎山麗の砦に繋がっており、兵糧や人員の移動に使われたそうです。
真田神社・真田井戸

この独特の建物(?)には「酒樽茶室」と書かれてました。
案内板も無いので詳しい事は解りませんが、茶室として使う事ができるのでしょうか? 他で観た事の無い物です。
真田神社・酒樽茶室

真田家と言えば六文銭と赤備えが有名です。
真田家は武田家の家臣だったので、その影響を受けているのかと思いましたが、信繁が赤備えを採用したのは大阪夏の陣との事なので、ちょっと意外な感じがします。 信繁にとって名を上げる最期のチャンスだったので覚悟の現れだったのかも知れません。
真田神社

東虎口櫓門
平成6年に復元された櫓門です。 門の石垣には「真田石」と呼ばれる巨大な石が使われています。 このような巨大な石は、城主の権力を見せつける為に目立つ場所で良く使われます。 ただ、現在の石垣は仙石氏が作った物なので、真田氏とは直接関係無いのかも知れません。
上田城・東虎口櫓門

上田城・真田石

南櫓
駐車場から見上げていた南櫓は内部を見学する事ができます。
南櫓は明治政府によって売却され、城外に移築されてましたが買い戻されて昭和24年に現在の位置に再移築されました。 内部には資料などが展示されています。
上田城・南櫓

上田城・南櫓

上田城・南櫓

北櫓
東虎口櫓門を挟んで南櫓の反対側にある櫓です。 この櫓も南櫓同様、買い戻されて再移築された建物です。 建て直した記録が無いので恐らく仙石氏が建てた物がほぼそのまま明治まで残っていたのだと思われます。
上田城・北櫓

上田城・北櫓

伝説の多い真田氏の居城。 今目に付くのは仙石氏の時代の物がほとんどなので、こんど訪問した時は真田氏の跡を探してみよう...。
真田神社・鳥居


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