高野山 総本山金剛峯寺 壇上伽藍2014年08月15日

和歌山県伊都郡高野町高野山にある真言宗の寺院で世界遺産にも登録されています。
空海は 816 年に曽我天皇から高野山を賜り、翌年から寺院の建設に取り掛かりました。 しかし、空海が存命中に完成した物は少なく、何年もかけて弟子達によって伽藍が整備されて行きました。
一時期衰退しますが、1016 年、定誉によって再興され、また、戦国時代には織田信長との対立や、豊臣秀吉による圧力などによる危機もありましたが、脈々と現在まで存続し続けています。

高野山大師教会
駐車場のそばにあった建物ですが、仏教系では珍しい「教会」の字が気になって立ち寄ってみました。
1925 年に建てられた建物のようで、古い物ではなさそうです。
日帰り修業体験などを行っているようです。
高野山大師教会

恵宝地蔵尊(赤じぞう)
こちらも他で見たことの無い、印象的な真っ赤なお地蔵様。
この色は高野山の鎮守である丹生明神の丹生(水銀朱)からきているそうです。
悩みのある場所に金箔を張って祈願し、持ち帰ってお守りにするそうです。
高野山・恵宝地蔵尊

常喜院
1156 年に心覚によって再興されたとの事なので、もっと古い時代から存在していたと思われます。 江戸末期に火災で焼失した後、1870 年に再興したのが現在の姿です。 高野山の多くの寺院は宿坊に宿泊する事が可能で、ここもその一つです。
高野山・常喜院

高野山・常喜院

高野山の中枢と言える大伽藍へ向かいます。
高野山・大伽藍へ

東塔
白河法皇により 1127 年に建てられてましたが 1843 年に焼失します。
現在の建物は 1983 年に再建された物です。
高野山・東塔

三昧堂
済高座主によって 929 年に総持院に創建されましたが、西行法師が 1177 年にこの地に移築しました。
現在の建物は 1843 年の火災後に再建された物です。
(1816 年に再建との記述もありましたが、1843 年の火災でほとんどの建物は焼失しているようなので、案内板の年代を信用しました。)
高野山・三昧堂

大会堂
1175 年に鳥羽法皇の皇女、五辻斎院の祈願によって現在とは別の場所に建立されました。 こちらも西行法師によって現在の場所に移築されますが、1843 年の火災で焼失します。
現在の建物は 1847 年に再建された物です。
高野山・大会堂

不動堂
国宝認定されている建物です。
1197 年に鳥羽法皇の皇女、八条女院内親王の発願によって建立されたようですが、正確な建立年は不明なようです。
現在の建物は14世紀前半に再建された物らしいので創建当時の物ではなさそうです。
高野山・不動堂

愛染堂
1334 年に後醍醐天皇の祈願によって建立されました。
こちらも現在の建物は、1843 年の火災で焼失した後、1848 年に再建された物です。
高野山・愛染堂

根本大塔
見るからに新しい建物ですが、そのはずで、1937 年に再建された物です。
根本大塔は、1843 年の火災の後には再建されなかったようです。
この建物は高野山で最も高い建物で、876 頃に建立されてから5回も落雷などの火災に合っています。
高野山・根本大塔

金堂
高野山が開創された初期の頃からある建物ですが、何度も焼失しており、現在の建物は 1932 年に再建された比較的新しい物です。
金堂は7回も再建されており、現在の建物は見た目は木造ですが鉄筋コンクリート構造です。
高野山・金堂

高野山・金堂

六角経蔵
1159 年に一切経を収める為に建てられました。
現在の建物は 1934 年に再建された物ですが、ちょっと見た目が変わっている建物です。
高野山・六角経蔵

山王院
壇上伽藍の一番奥にある山王院は、地主の神様が山王として祀られている場所です。 樹木で覆われているので写真では分かりませんが、丹生都比売命気比明神(第1の宮)、高野明神(狩場明神)厳島明神(第2の宮)、十二王子 百二十伴神(第3の宮)、の3つの宮があります。
高野山・山王院

こちらが拝殿。 現在の建物は 1594 年に再建された物だそうです。
と言う事は、この拝殿は 1843 年の大火では焼失を逃れたと言う事? 伽藍の端の方なので無事だったのでしょうか?
高野山・三王院

高野山・山王院

西塔
真然大徳が 886 年に建立した建物です。 現在の建物は 1834 年に再建された物です。 西塔も、5回再建されているので、山の上の寺院の宿命かも知れませんが、高野山は本当に火災が多いです。
金剛界大日如来と、それを囲むように胎蔵界四仏が安置されています。
高野山・西塔

孔雀堂
後鳥羽法王の御願が成就した事により、1200 年に孔雀明王が安置されました。 現在の建物は 1926 年の火災による焼失後、1983 年に再建された物です。 本尊の孔雀明王は現存するそうです。
高野山・孔雀堂

准胝堂
973 年頃に建立されたようです。 本尊の准胝観音は、弘法大師が自ら造った物と伝えられています。 現在の建物は 1833 年に再建された物です。
高野山・准胝堂

御影堂
当初は弘法大師の持仏堂として建立されました。 弟子の真如法親王が弘法大が入定する前に写した像を安置した事により御影堂と呼ばれるようになりました。 最も神聖な場所の一つです。
高野山・御影堂

高野山・御影堂

町全体が寺院と言った感じで予想以上に広いです。 数年前に一度訪問しようと思ったのですが、到着時間が遅くなりそうだったので諦めた事があります。 これだけ広いとそれなりの時間が必要なので、その時の選択は正しかったと思いました。 金剛峯寺の境内の方へ移動します...。