愛媛県 宇和島城2015年09月21日

砦としての機能はもっと前からありましたが、現存する建物などを建てたのは 1615 年に入城した伊達秀宗になります。 しかし秀宗は、1596 年に藤堂高虎が作った縄張を活用したと見られているので、藤堂高虎の影響が非常に大きいと言えます。

大洲城からの移動になりましたが、高速の乗り口がわかりにくく一般道を走るハメになりました。 無駄に時間がかかりましたが、なんとか到着。 これと言った駐輪場が見つからなったので、桑折長屋門前(北東側の登山口)の有料駐車場前に停車します。
宇和島城・駐車場

桑折長屋門
駐車場のすぐ先にある門です。 家老桑折家の屋敷にあった門を昭和27年に移設したものです。 「駐禁」の標識がありますが「二輪を除く」になってるのでバイクを停めてても問題ないでしょう...。 しかし、四国にはあまり見慣れない、「二輪を除く」の駐禁エリアが多いです。
宇和島城・桑折長屋門

三の丸の石垣
左の建物は郵便局になります。 先ほどの桑折長屋門の手前から郵便局の辺りまで三の丸があった場所になります。 おそらく下段の方の石垣だと思いますが、三の丸の裏手にあった石垣の様です。 平成21年に修理が行われました。
宇和島城・三の丸の石垣

和翁丸(かずおうまる)
天守に向かうには井戸丸を通るのが最短ですが、せっかくなので少し遠回りして児童公園の方に回ります。 その途中、「和翁丸」の案内が見えましたが、他に情報が無いのでどんな場所なのか解りませんでした。
位置関係的には公園の下辺りでしょうか? ただ、石垣は綺麗でした。
宇和島城・和翁丸

宇和島城・和翁丸

天守に向かうにはこの階段を上りますが、武部丸や代右衛門丸を見てみたいので上り立ち門の方へ一度下ります。
宇和島城・城山郷土館

上り立ち門
式部丸への横道があるはずですがそのまま上り立ち門に到着してしまいました。 途中、工事している場所があったので、おそらくそこが式部丸なのでしょう。 残念ながら立ち入りできないようです。
ちなみにこの門は薬医門形式と呼ばれるそうです。 薬医門は、矢の攻撃を食い止める「矢食い」から付いたと言う説があります。
宇和島城・上り立ち門

仕方が無いので来た道をそのまま戻ります。
宇和島城・上り立ち門から戻る

城山郷土館
左側の白い建物が城山郷土館です。 元々は山里倉庫と呼ばれる武器庫で、1845 年に建てられた現存建築物です。 奥の建物には「八束兄弟の生家長屋門」の案内がありました。 八束兄弟は明治時代の法学者です。
宇和島城・城山郷土館

宇和島城・八束兄弟の生家長屋門

井戸丸
本丸へ向かう途中、「井戸丸」の文字が見えたので、またもや寄り道します。
ただ、この道を下った先が桑折長屋門側の出入り口なので、帰りに寄ればよかった事を後で知りました。 無駄にアップダウンを繰り返してます。
井戸の深さは約 11m で、もっとも重要な井戸だったそうです。
宇和島城・井戸丸

下ってきた道をまた登る...。 無駄な動きが多い...。
宇和島城・井戸丸から戻る

二ノ丸
この先が二ノ丸になります。 左側の野面積みっぽい石垣側が本丸です。
二ノ丸には御算用矢倉がありました。
宇和島城・二ノ丸へ

宇和島城・二ノ丸

天守
コンパクトな印象を受けるこの天守は、貴重な現存12天守の一つです。
藤堂高虎が建てた望楼型天守を伊達宗利が 1666 年に層塔型に再建したのが現在の建物です。 天守入口で 100 名城のスタンプを入手し、建物内を見学します。
宇和島城・天守

宇和島城・天守

昔のまま残っている建物は素晴らしいです。 木造建築の場合、保存は難しいのかも知れませんが何とか後世に残したいものです。
宇和島城・天守内部

宇和島城・天守内部

宇和島城・天守からの眺め

少し時間が余ったので遠回りになりますが、瀬戸内の海側を走ってホテルに戻りました。 すれ違うライダーから合図を送られながら綺麗な海岸を走るのは最高です。 今回の四国遠征は天気に恵まれて、なかなか良い旅になりました。
瀬戸内海


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