栃木県 足利学校2016年05月04日

栃木県足利市にある日本最古の学校と呼ばれる史跡です。
創建時期は奈良時代説、平安時代説など様々で、はっきりしないようですが、資料として明確なのは室町時代に上杉憲実が書籍を寄進して学校を再興した時になります。

入徳門
入徳門が建てられたのは 1840 年(江戸時代)になります。 現在の建物は1904 年(明治時代)に裏門を移築した物だそうです。
足利学校・入徳門

学校門
1668 年に建てられた門です。 学校の門らしく、ストレートに「学校」と書かれている門ですが、「学校」とは儒学の教科書の中になる言葉だそうです。
入徳門もそうですが、造りはシンプルです。
足利学校・学校門

杏壇門
創建されたのは 1668 年ですが火災により焼失し、明治32年に再建された物です。 「杏壇」とは、孔子が弟子たちに教えた場所に杏の木が植えられていた事に由来しているそうです。 この門の先に孔子廟があります。
足利学校・杏壇門

孔子廟(大成殿)
正面に孔子坐像、右側に小野篁坐像を安置しています。 こちらも明治25年の火災で焼失しましたが明治33年に再建されました。
孔子坐像は 1535 年、小野篁坐像は 1746 年の作になります。
孔子はいまさら説明不要ですが、小野篁は平安時代の公卿・歌人で、足利学校の創設者との説がある人物です。
足利学校・孔子廟

南庭園
方丈の南側にある庭園です。 発掘調査の結果と江戸時代の絵図を基に江戸時代中期の姿に復元しました。
足利学校・南庭園

方丈
学生の講義、学校行事なととして使用された建物です。 宝暦年間(1751~1764 年)の姿に復元された建物のようです。
ちなみに学生の中には沖縄出身の人もいたそうで、僧侶がほとんどだったようです。
足利学校・方丈

庫裡
学校の台所、食堂といった生活の場所です。 内部には資料などが展示されています。 奥には書院もあり、接客などにも使用されました。
足利学校・庫裡

北庭園
方丈を挟んで南庭園の反対側にある庭園です。
湧き水を貯めて作った池に亀の形をした中島を置いています。 発掘調査により、南庭園よりも古いらしく、何度か改修されているようです。
足利学校・北庭園

衆寮
当時の学生寮になります。 4部屋続く長屋となる構造で、こちらも宝暦年間の姿に復元された建物です。
当時は在学期間が決まっておらず、本人が学びたい事が終わった時が卒業みたいな物で、10年以上在学した人もいれば1日しか在学しなかった人もいたそうです。
足利学校・衆寮

足利学校・衆寮

木小屋
燃料用の木などを収納していた小屋です。 宝暦年間の姿に復元した建物です。
足利学校・木小屋

土蔵
漆喰の壁は防火性にも優れているので、大切な物を収納するのに使用されていたようです。  宝暦年間の姿に復元した建物です。
足利学校・土蔵

裏門
学生や一般人が日常使う門として使用されていたそうです。 切妻造の茅葺屋根で、宝暦年間の姿に復元した建物です。
足利学校・裏門

100 名城めぐりとして足利市館跡を訪問したついでの訪問でしたが、セットで観て回ると良い場所です。
足利学校


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