愛知県 名古屋城2017年03月18日

少し温かくなってきたので 100 名城めぐりを再開します。
正門側の名城公園正門前駐車場にバイクを止めますが、30分100円なので結構高いです。 ただ、後で気が付いたのですが、名古屋城周辺の道路は普段は駐車禁止なのですが、標識をよく見ると「土曜・日曜、休日を除く」になっており、知っている人は普通に路上駐車してました...。 以外と長時間居たので、無駄な出費だったかも知れません...。

正門
明治43年に江戸城から蓮池御門が移築されましたが昭和20年の空襲で焼失しました。 現在の門は昭和34年に再建された物です。
どちらにしろ近代に建てられた門なので、江戸時代にはどんな門があったのでしょうか...。 案内が乏しく、再建も、蓮池門をベースにしているのか、もともとあった門なのか、情報が欲しい所です。
名古屋城・正門

正門を通ってすぐの場所にある観光案内所。 100名城のスタンプはここで借りました。 大抵の場所は外から 100 名城のスタンプが置かれている事が判るのですが、見当たらなかったので、少々、戸惑いました。
名古屋城・観光案内所

名古屋城と言ったら金鯱です。 レプリカの前で皆さん記念撮影をしてました。 金鯱の始まりは、信長の安土城との説と、秀吉の大阪城との説があるそうです。 現在の復元天守の金鯱は一対で88kg の金が使われているとの事。 金箔を表面に張っているだけではなさそうですね...。
名古屋城・金の鯱

西南隅櫓と天守が見えてきました。
西南隅櫓が建てられたのは天守と同じ頃で 1612 年頃とされています。
この櫓も再建かと思いきや、運よく空襲による焼失は逃れたようです。
ただ、1921 年に暴風によって倒壊しており、現在の建物はその時に修理復旧した建物のようです。
ちょっと気になったのが本丸周辺の堀に水が無い事で、元々空堀だったのでしょうか? それとも修復工事か何かで水を抜いているのでしょうか?
名古屋城・天守と西南隅櫓

天守
名古屋城の天守が完成したのは 1612 年の事。 関ケ原の戦いから10年以上経過している訳で、それでもこれだけ巨大な城を築いたのは、豊臣方との対立を予見してたのだと思います。
現在の天守は昭和20年の空襲で焼失した後、昭和34年に鉄筋コンクリートで再建された物です。 老朽化が進み、木造で建て替えるようなので、この鉄筋コンクリート製の天守が見れるのも長くはなさそうです。
名古屋城・天守

名古屋城・金の鯱

景観が崩れるのを覚悟でエレベーターを外付にしていると思われるので、多分、バリアフリー化する為に後から付けられたのでしょう。 これはこれで便利ではありますが...。
名古屋城・天守

小堀遠州らによって天守は建てられたようですが、天守台は天守が完成する2年前に加藤清正によって築かれました。 石を運ぶ指揮をとる加藤清正公の像がありました。
名古屋城・加藤清正像

堀を内側に入り込ませる事により、本丸周辺の道を一部狭くしています。
大勢の敵が動けなくする構造で、このような構造の事を「鵜の首」と呼ぶそうです。
名古屋城・鵜の首

天守と小天守の間は細い石垣でつながっており、その塀の軒には鋭い槍の穂先が付いています。 外部からの侵入を防ぐ為の仕組で、「剣塀」と呼ばれています。
名古屋城・剣塀

先ほどの「剣塀」の内側はこんな感じ。
小天守から天守への通路になっています。 この狭さは侵入しにくくする為の意図的な構造だと思います。 ちなみに天守内部は資料館として色々な物が展示されています。
名古屋城・天守

名古屋城天守の石垣は見事な扇勾配で美しいです。
打ち込みハギで積まれており、上の方に行くと布積っぽくなり、下に行くと乱積に近くなっているように思えます。 傾斜の付け方が影響しているのかも知れませんが、そこまで詳しくは無いので...。
名古屋城・天守石垣

ここにもありました。 石垣の巨石。
東一の門跡付近にある清正石と呼ばれる巨石です。 この辺りの担当は黒田長政なので、清正が積んだ訳では無さそうですが、清正石と呼ばれてます。 長政、残念。
なお、東一の門も空襲で焼失したので残念ながら現存しません。
名古屋城・清正石

旧二の丸東二の門
元々は二の丸東の門でしたが、体育館を建築するにあたり、昭和47年に現在の場所に移築されました。
名古屋城・旧二の丸東二の門

本丸表一の門跡
この辺りに内門となる一の門があり、この先の二の門と桝形を形成してました。 この門も昭和20年の空襲で焼失していますが、外側の二の門の方は現存しています。 この門だけ燃えたような感じなので、本丸御殿から延焼したのかも知れません。 奥には東南隅櫓が見えます。
名古屋城・本丸表一の門跡

こっちは外側にあたる本丸表二の門。 ちゃんと現存してます。
名古屋城・本丸表二の門

東南隅櫓
武具が収められていた櫓で、昔は多門櫓が続いていたようです。
昭和20年の解体修理の際、1707 年に修理されている事が判っています。
こちらは現存建物のようですが、すぐ近くの本丸表門が空襲で焼失している事を考えると、かなり強運な建物のようです。
名古屋城・東南隅櫓

西北隅櫓
他の櫓が二層だったので、三層のこの櫓は他よりも少し大きいようです。
1619 年頃に建てられたようで、清州城天守の古材が転用された可能性があるそうです。
この辺りは一番奥にある事や、本丸御殿の木材加工場の裏側になるのでほとんど人がいません。
名古屋城・西北隅櫓

名古屋城・西北隅櫓

乃木倉庫
乃木希典が名古屋鎮台に在任していた時に建てられた倉庫なので、名古屋城とは直接関係なさそうな建物ですが、これも明治初期の頃の貴重な建物になります。 ちょっと西洋風で、個人的には好きな建物です。
また戦時中、本丸御殿の天井画や障壁画は取り外されてこの倉庫に保管されおり、空襲による焼失の難を逃れる事ができました。
名古屋城・乃木倉庫

なんだかんだで広い名古屋城。
気が付いたら3時間以上滞在してた...。 駐車料金が高くついた...。


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