島根県 月山富田城2017年08月24日

月山富田城は島根県安来市にある日本100名城の一つです。
築城年代は不明です。 平安末期とも、鎌倉初期とも言われてます。
戦国期は尼子氏の居城でしたが毛利氏との争いに敗れ尼子氏は滅亡します。 1600年に堀尾吉晴が入城すると石垣造りの近世城郭に変貌しますが拠点を松江に移した事により、わずか11年で廃城になります。

安来市立歴史博物館
100名城のスタンプは安来市立歴史博物館にあるので、先にそちらへ訪問します。
駐車場の広さも十分で、月山富田城の地図を入手する事もできるので先に訪問する事をお勧めします。
安来市立歴史博物館

時間と体力に余裕があれば、歴史博物館から月山富田城を目指すのですが、昨日、鳥取城でダウンした事もあるので、無理せず花の壇横の駐車場までバイクで移動します。
こちらの駐車場も以外と広かったです。
ただ、工事中のようで、それほど広くは無い道を大型車両が通る可能性もあります。
月山富田城・駐車場

花の壇
花がたくさん植えられていた事から「花の壇」と呼ばれてます。 現在は柱穴の位置を元に2つの建物が復元されています。
ここは北側からの侵入を監視するのに良い場所なので、戦時中は兵士の詰め所として使用されていたのかも知れません。
月山富田城・花の壇

月山富田城・花の壇

花の壇と南側の曲輪を隔てる堀切。
結構、いい感じに掘り下げられています。
月山富田城・花の壇の堀切

先ほどの堀切の先にある曲輪。
花の壇と山中御殿の中間にある曲輪です。 意外と広いです。
ここも含めて「山中御殿」なのかも知れませんが、道路で分断されている為、独立した曲輪に見えます。 この先、トイレは無いのでご注意を...。
月山富田城・花の壇南の曲輪

山中御殿
大きな曲輪で、城主の居館があったと思われる場所です。
奥に見える山の上に本丸があり、山の斜面に曲がりくねった七曲りが見えます。
山中御殿の周囲は石垣で取り囲まれています。
月山富田城・山中御殿

月山富田城・山中御殿

こちらは塩谷口側の入り口で、当時はこの辺りに門があったと思われます。
また、近くには櫓もあったようです。
石垣は打ち込みハギかな? それなりに加工されてる感じがします。
月山富田城・山中御殿

七曲り
坂のキツさと言うより、日当たり良好すぎるのが気になります...。
まぁ、今日はちゃんと飲料水を確保しているので大丈夫かと思いますが...。
無理せずゆっくり登る事にしましょう...。
月山富田城・七曲り

月山富田城・七曲りの入り口

親子観音
堀尾家のお家騒動の首謀者とされる、堀尾河内とその子、掃部の首を葬ったと伝わります。 お家騒動とは、堀尾河内が自分の子を忠晴の代わりに当主に据えようとした事件の事です。 忠晴は幼くして家督を継いだ為、祖父の吉晴が執務を行ってましたが、不安定な時期だったのかも知れません。 堀尾河内は、吉晴の娘の子です。
月山富田城・親子観音

遠く、花の壇まで見渡せます。 それにしても暑い...。
月山富田城・七曲り

三の丸
三の丸下の曲輪から三の丸の石垣を眺めた所です。
階段状に積まれてます。 野面積でしょうか? 御殿周辺の石垣ほど石材が加工されていないように思えます。 もっとも、この高さであれば石を運ぶだけでも大変だと思いますが...。
月山富田城・三の丸の石垣

月山富田城・三の丸

三の丸に何故か鳥居が...。
本丸奥にある勝日高守神社の鳥居ですかね...。
月山富田城・三の丸

二の丸
最初、ここが本丸かと思いましたが二の丸でした。
三の丸より一段高い場所にある曲輪です。
発掘調査により、建物や塀の跡なども見つかっているようです。
月山富田城・二の丸

遠く見えるのが本丸。
二の丸と本丸の間は大きな堀切で隔てられています。
本丸に向かうには一度、二の丸から下りる必要がありますが、その途中、二の丸の立派な石垣を見る事ができます。
月山富田城・二の丸と本丸の堀切

月山富田城・二の丸

本丸
無事、本丸に到着。 以外と広いです。 でも、細長い場所なので大きな建物は難しそうです。
本丸の奥には大国主命が祀られている勝日高守神社が鎮座しています。
月山富田城・本丸

勝日高守神社

本丸からの眺め。
結構、標高差ありますね...。 これから下山して次の目的地、松江城へ行きましょう...。
今回は山中鹿介幸盛像はパスしましたが、だいたい観れたかな...。
月山富田城・本丸からの眺め

後で知ったのですが、「山中御殿」を「さんちゅうごてん」と読むそうで、「里御殿」に対して山の中にある事から「山中御殿」と呼ばれていたそうです。
でも、どうしても尼子の家臣の「山中鹿介」の御殿に聞こえてしまう...。 当時の人はどうだったのだろう...。