島根県 松江城(1) ― 2017年08月24日
松江城は島根県松江市にある日本100名城の一つです。
1607年に堀尾吉晴によって築城されました。 既に月山富田城に入城してましたが、将来性から松江に拠点を移しました。 その後、京極氏、松平氏と藩主が移り、幕末を迎えます。
明治に入り、多くの城郭が取り壊されましたが、松江城の天守は勝部本右衛門、高城権八らの尽力により現在まで残されています。
松江城の駐輪場は内堀の中にあります。
北惣門橋を渡り少し進むと左手側に売店、観光案内所へ続く歩道のような道が現れます。
その道を進むと売店、観光案内所の奥に駐輪場があります。
観光案内所で城内の地図をもらって散策開始です。
大手門跡
現在は石垣しか残ってませんが、大手門の復元を目指して資料集めを行っているみたいです。 大手門の外側は外曲輪になります。
奥の石垣で向かって右側に見えるのが太鼓櫓。左奥が中櫓かな...。
よく見ると、石垣が中央部分を堺に微妙に違うように見える。 修復跡かな?
二之丸
北側には松平家二代藩主綱隆の住居となる御書院があり、南側には御広間、番所、御作事小屋などがありました。 廃城令により、明治8年に建物は取り壊されました。
太鼓櫓
時刻を伝える太鼓が置かれていた事から太鼓櫓と呼ばれています。
松江城は天守を除く全ての建物が廃城令で撤去されました。 この建物は 2001年に復元された物です。 中櫓とほぼ同規模の櫓ですが、こちらは出入り口に庇が付けられています。
中櫓
太鼓櫓の隣にあるのが中櫓です。 絵図によっては「東之矢蔵」、「御具足蔵」と記載されている場合もあるようです。 この建物も 2001年に復元された物です。
南櫓
二之丸の南東にあるのが南櫓です。 こちらも絵図によって呼び名が変わっており、「南ノ弐重屋くら」、「御召蔵」とも呼ばれていたようです。
二重二階の櫓で、太鼓櫓、中櫓とはだいぶ形が異なります。
こちらも発掘調査や資料を元に 2000年に復元されました。
南口門
南櫓の隣にある門で、三之丸へと通じています。 現在、三之丸は島根県庁として使用されています。 二之丸の門としては貧弱な冠木門なので、当時はもっと立派な門だったのかも知れません。
興雲閣
二之丸御書院があった場所には現在は興雲閣があります。
明治36年に工芸品陳列所として建てられましたが、当初は明治天皇の行在所としての使用を目的としていました。 その目的は実現しませんでしたが、明治40年に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の宿泊場所として使用されました。
天皇が立ち寄る事を想定していただけに内装も素晴らしです。
2階の広間は予約すれば貸し切って使用する事が可能なようです。
1階にはカフェもありますが、満席状態だったので今回はパスしました。
平成25~27年にかけて保存修理工事が行われたので 100年以上前の建物とは思えない美しさです。
松江神社
松江神社は松平直正公(初代藩主)を御祭神とする神社で明治10年に創建されました。
明治31年に東照宮と合祀し、二之丸内の現在の位置に移されました。
昭和6年には松平治郷公(七代目藩主)、堀尾吉晴公(松江開拓の祖)を配祀しています。
では、本丸にある天守へ向かいましょう。
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