大分県 岡城(2)2018年05月02日

前回の続きです。

貫木門跡
大手門から本丸方面に真直ぐ伸びていた通路がここでクランク状に折れ曲がります。
ここに貫木門がありました。 石垣をみても、立派な門だったと思います。
この門の先にある太鼓櫓門と合わせて桝形を構成しているようなので、この辺りが三ノ丸の守備の要だと思います。
岡城・貫木門跡

岡城・貫木門跡

鐘櫓跡
貫木門には鐘櫓が備えてありました。
貫木門の石垣を内側から見ると、鍾櫓への入り口が残っています。
鍾櫓」と言う事は、鐘でも吊るされていたのでしょうか? 近くには太鼓櫓もあるので、時間を伝える役割としては重複しますね...。
岡城・鐘櫓跡

太鼓櫓門跡
この門の先が三ノ丸になります。 本丸に入るにはここを通過する必要があります。
太鼓櫓との名前なので、時を伝える太鼓が鳴らされていたのかも知れません。
ここの石垣は綺麗な切り込みハギで積まれています。 本丸、二ノ丸、三ノ丸などの中核部は 1596年には完成していたとの事なので、当時としては最新の技法が使われていたのだと思います。
岡城・太鼓櫓門跡

岡城・太鼓櫓門跡

三ノ丸跡
ここにあった御殿は使者や家臣が藩主と対面する場として使われていた事が考えられます。
当時の図面から、30畳や40畳といった広間があった事が判明しています。
曲輪への出入り口は太鼓櫓門の他、東側に埋御門があったようです。
岡城・三ノ丸跡

本丸
三ノ丸から本丸の石垣を見上げた所です。
左側の階段を登った上に本丸への出入り口となる門があったようです。
岡城・本丸の石垣

岡城・本丸への入り口

本丸には藩主の為の御殿がありましたが、現在は天満神社が鎮座しているのみです。
中川秀成が入城した時に天神祠を移して崇拝していた神社で、菅原道真が祀られています。
明治に入って城が廃城となると登城者もいなくなり神社も荒廃しましたが、1910年に城下町に移されます。 城が史跡として登録されると登城者も増えた為、1955年に元の本丸に戻されます。 2016年に解体修理されたので新しく見えますが、結構、歴史があります。
岡城・本丸

金倉跡
本丸の一番奥にあったので「天守台?」と思って言って見たら金倉跡でした。
要するに、「金庫」みたいな物でしょうか?
岡城・金倉跡

本丸から東側をみた所です。 遠くに見えるのは中仕切跡かと思います。
この先にもまだ曲輪が続いているようです。 後で行ってみましょう。
ここの石垣は立派な上、かなりの落差があります...。
岡城・本丸からの眺め

本丸から南側を見ると、遠くに国道 502号が見えます。 帰りはそっちにするか...。
霧が濃いので遠くは見えませんが、これはこれで綺麗な景色かと思います。
雨も激しくなってきたので先を急ぎますか...。
岡城・本丸からの眺め

二ノ丸跡
本丸の北側にある曲輪です。
ここは防御施設よいうより、遊興の場としてとして使われていたようです。
月見櫓は茶の湯や詩歌などに使われ、「風呂屋」と呼ばれる二階建ての風呂がありました。
現在は特に建物などは残ってません。 滝廉太郎像が遠くを見つめてました。
岡城・二ノ丸跡

岡城・滝廉太郎像

本丸の東
本丸東側に回る為、太鼓櫓門まで引き返します。
ふり返って三之丸付近の石垣を見ると、すごい落差がある事に驚きます。
この城の石垣は本当に凄いですね...。
岡城・三ノ丸の石垣

太鼓櫓門付近に、三ノ丸、本丸の南側を通る通路に出る事が出来ます。
本丸の東側にはそこから行く事が出来ます。
曲輪の中を歩いている時には気が付かなかったのですが、本丸の石垣がもの凄く高かった事が分かります。 この辺りの石垣は積み方が少し違いますね...。
岡城・本丸の石垣

本丸東側にある東中仕切跡の石垣に到着しました。
恐らく、ここにも大きな門があり、東側からの侵入を阻んでいたのだと思います。
あと、ここまで来てから知ったのですが、駐車場からここまで登城バスで来る事ができるようです。 ここからだと、基本的に城を下って行けば良いので、楽に散策が出来そうです。
岡城・東中仕切跡

御廟跡
本丸東側の曲輪は中川平右衛門の屋敷があったらしいです。
「三楽亭跡」、「荘嶽社跡」、「御廟跡」などた出来たのは平右衛門が城下に下りてからのようです。 ここは、防御施設と言うより、中川氏の私的な雰囲気を感じさせる場所ですね...。
岡城・御廟跡

下原門跡
一番東側にある下原門跡に到着。
石垣の規模からしても、立派な門だったのだと思います。
岡城・下原門跡

岡城・下原門跡

結構な雨の中、ここまで来ましたが、これから引き返すのかと思うと足が重いです...。
ここは天気の良い時に来たかった場所ですね...。
でも、簡単に来れる場所じゃないんだよな...。
岡城・下原門付近