群馬県 岩櫃城2018年07月14日

岩櫃城の正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代と考えられています。
鎌倉時代末期、吾妻太郎行盛が最初の城主として記録が残ります。 行盛は里見氏の猛攻により自害する事になりますが、行盛の子、千王丸が城を奪還して戦国時代を迎えます。
1563年、武田信玄の侵攻により落城、信玄の命により真田氏がこの地の守護となります。
一時、北条氏に支配が移る事もありましたが再び真田氏の支配に戻り、徳川の一国一城令により 1615年に廃城となります。

続100名城のスタンプは岩櫃城址観光案内所に置かれてますが、駐車場はその手前の平沢登山口駐車場になります。 広さは十分で、日陰にバイクを停めます。
観光案内所までは、徒歩で数分と言った所です。
岩櫃城・平沢登山口駐車場

岩櫃城址観光案内所
キャンペーン中らしく、続100名城の真田三城を訪問した証としてスタンプ帳を見せるとクリアファイルが貰らえました。 最初は2日で三城を訪問する予定でしたが、予想外に近かったので1日で訪問する事が出来ました。
案内所で岩櫃城の地図を受け取り散策を開始します。
岩櫃城址観光案内所

中城を経由して本丸を目指す事にします。
中城への登城路はこんな感じ。 ほとんど登山路です...。
「熊注意」の看板を横目に登城路を登ります。
岩櫃城・登城路

中城
二ノ丸の下にある、中城と呼ばれる曲輪跡です。 両サイドは竪堀で仕切られています。
通常、曲輪は平らに整地されているのですが、ここは山の斜面を切り開いただけのような場所で、それなりの傾斜があります。 この斜面で建物とかあったのでしょうか?
岩櫃城・中城

岩櫃城・中城

中城を通り過ぎると分岐路が現れます。
通常は右から山を登って本丸に向かいますが、少し寄り道します。
左側から少し山を下って殿屋敷に向かいます。
岩櫃城・岐路

殿屋敷
道案内では「殿屋敷」と書かれてましたが、地図では「殿邸」と書かれている場所です。
現在は何かしらの農作物が育てられている感じでした。
名称から察するに、何かしらの住居が存在していたのかと思います。
これ以上先に進むと戻るのが大変なので、先程の分岐点へ引き返しましょう...。
岩櫃城・殿邸

中城の竪堀
中城脇の登山路ですが、ここは竪堀だったと思われます。
竪堀は山の斜面に対して上下に掘られ、横方向への移動を制限させる役割があります。
岩櫃城・中城の竪堀

ふり返って見ると、結構な傾斜で、堀もかなり深いです。
岩櫃城・中城の竪堀

竪堀を登り切った先にある、この斜面を登った先が二ノ丸です。
当時はこんな道は無かったと思うので、二ノ丸への侵入は大変だったと思います。
岩櫃城・二ノ丸へ

二ノ丸
それほどの広さは無い曲輪です。
先程の中城を見下ろす位置にあります。
岩櫃城・二ノ丸

二ノ丸と本丸の間にある堀切です。
二ノ丸から直接本丸に侵入できないように工夫されています。
写真は本丸側の斜面から見た所です。 堀切の奥が二ノ丸。
岩櫃山・二ノ丸の堀切

堀切は竪堀と繋がっており、山の斜面を垂直に下って行きます。
これだけの物を手作業で掘った事を考えると、本当に当時は生き残る事が大変だったのだと思います。 必死さを感じます。
岩櫃山・竪堀

本丸
細長い形をした本丸に到着です。 本丸は二段構造になっています。
何かしらの居館があったのかと思いますが、場所も狭いですし、生活するには不便な場所です。 普段は下の方で生活していたのでしょうか?
岩櫃山・本丸

岩櫃山・本丸

本丸を通りぬけて反対側から下山します。
この辺りは本丸北の桝形虎口があったあった場所です。
ちょっとイメージしにくいのですが、不自然に登城路が曲がっています。
岩櫃山・本丸北桝形虎口

一の木戸跡
岩櫃山・一の木戸跡

多分、この登山道自体が堀底なのだと思います。
左側の斜面には、山の上の方に向かって掘った竪堀があります。
何も知らずに通ったら、ただの登山道にしか思わなかったと思いますが、案内所でもらった地図を片手に散策すると、当時の遺構がよく解ります。
岩櫃城・竪堀

潜竜院方面まで歩くと時間がかかるので、一度駐車場に戻ってバイクで移動します。


古谷登山口駐車場
武田勝頼を迎える為に建てられた潜竜院跡は山の反対側にあるのでバイクで反対側の古谷登山口駐車場に移動します。 こちらの駐車場はそれほど広くはありませんが訪問者は少ないようです。 平沢登山口では気付きませんでしたが、古谷登山口から見ると岩櫃山の険しさが際立ちます...。
岩櫃城・古谷登山口駐車場

潜竜院跡
1582年、武田勝頼は織田・徳川の連合軍に攻められ滅亡の危機にありました。
真田昌幸は勝頼を迎える為に御殿を3日で造りましたが、勝頼はここに来ること無く自刃してしまいます。 御殿は潜竜院という名の寺となり、現在は石垣のみが残ります。
岩櫃城・潜竜院跡

岩櫃城・潜竜院跡

潜竜院を岩櫃城の反対側に建てたのが少し気になります。 城から少し離れた場所であり、有事の時は山を越えて城に逃げ込む想定だったのでしょうか? それとも昌幸の演出?


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