東京都 泉岳寺 ― 2018年12月08日
泉岳寺は東京都港区高輪にある寺院で、1612年に徳川家康によって外桜田に創建されました。 1641年の寛永の大火で焼失しますが現在の所在地である高輪に再建されます。
泉岳寺は赤穂浪士と関わりが深い寺院として知られています。 仇討ちを果たした赤穂浪士達は、主君である浅野長矩が葬られている泉岳寺を目指して行進します。 泉岳寺で亡き主君への報告を済ませた浪士達は、いくつかの大名家に預けられ、後に切腹の沙汰が下され主君の後を追う事になります。
中門
泉岳寺の入り口となる門です。 いきなり「中門」と言うのは違和感を感じますが、昔は「総門」が存在していたようです。 現在の中門は 1836年に梅庭和尚によって再建された物です。
中門の扁額に書かれている「萬松山」は、中国の禅僧、為霖動霈の書による物です。
大石内蔵助像
連番状を手にした大石内蔵助像で、江戸城の方を向いていると言われています。
桃中軒雲右衛門の発願によって鋳造された像で、大正10年から泉岳寺に置かれているようです。 意外と古い像のようです。
山門
1832年に大道貞鈞和尚代によって再建された山門です。 ただし、泉岳寺のHPでは「天保年間」とだけ書かれているので、再建年代ははっきりしないのかも知れません。
二階部分を見る事は出来ませんが、十六羅漢像が安置されています。
山門が再建された時は江戸の名所として知られていたようです。
山門ちかくの紅葉が美しかったです。
本堂
泉岳寺の本堂は 1945年の空襲で焼失しており、現在の建物は 1953年に再建された物です。
本尊の釈迦如来像以外にも、大石内蔵助の摩利支天などが収められています。
水琴窟
赤穂浪士の墓所手前にあった水琴窟です。
実際に水を入れてみると、穴の奥から美しい音が聞こえてきました。
首洗い井戸
討ち取った吉良上野介の首を洗ったとされる井戸です。
この井戸で洗った吉良の首が亡き主君の墓前に捧げられました。
義士墓入り口の門
この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門を明治に移築した物です。
この門の先に赤穂浪士の墓所があります。
赤穂浪士墓所
1703年、大名家に預けられていた浪士達には切腹の命が下ります。
切腹した彼らの亡骸は主君と同じ泉岳寺に埋葬されます。 浪士達の墓が建てられたのは1739年の事で、主君の墓所の側に彼らの墓があります。
赤穂浪士による討ち入り事件は歌舞伎の演目としても使用され、いろいろと脚色されて現在に伝わります。 その為、史実と異なる部分も多々ありますが、現在でも多くの日本人に知られています。 また、海外旅行者も多く、思っている以上に海外でも知られている話なのかも知れません。
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