東京都 大嘗宮一般公開2019年11月24日

大嘗祭は天皇が皇位を継承する際に行われる皇室行事で、大嘗宮は大嘗祭を行う為の建物です。
大嘗祭が終わった後に大嘗宮は取り壊されますが、11/21 ~ 12/8 の期間一般公開されます。 そう何度も見れる物では無いので見学しに行ってみる事にします。

まずは坂下門前の入場口に向かいます。
物凄く混雑する事はニュースで知っていたので、意図的に天候の悪い日を選んでの訪問です。
当日は雨が降っていたので行列ができるほどの混雑ではありませんが、ここが埋まるほどの待ち行列ができる場合もあります。 奥に見える白いテントが手荷物検査と金属探知機による身体検査を受ける場所で、その先が坂下門になります。
大嘗宮へ

坂下門
普段は近づく事も出来ない門ですが、一般公開参加者はここから皇居内に入ります。
この門を通るのは 2014年の皇居乾通り一般公開以来です。 その時は物凄い混雑でしたが今回はスムーズに通る事ができました。
江戸城・坂下門

奥に見えるのが皇居宮殿の一部、豊明殿です。
皇室関連のニュースなどで車が出入りしている所を見かける建物です。
さすがに近くに行く事はできません。 当日もちらっと見えただけでした。
大嘗宮・皇居宮殿

皇居宮殿への通路付近にあるのが宮内庁の庁舎です。
1935年(昭和10年)に建てられた庁舎で、宮殿完成までの間に仮宮殿として使用された事もあります。 見た目もかなり古い感じがする建物です。 昔の学校みたいな建物ですね...。
大嘗宮・宮内庁

富士見櫓
1657年の明暦の大火で消失した後、1659年に再建されたのが現在の富士見櫓です。
この櫓は外からは見えにくい場所にあり、皇居東御苑からも近づけない場所にあります。
乾通り一般公開ではこちらの方には来れないので、これだけ近くで富士見櫓を見るのは初めてです。 これが見れただけでも来たかいがありました。
江戸城・富士見櫓

江戸城・富士見櫓

江戸城・富士見櫓

何処を歩いているのか位置関係を理解せずに歩いていたのですが百人番所の前に出ました。
普段、皇居東御苑を見学すると普通に入る事ができる場所なので、ここに出る事は予想していませんでした。 どうやら、大嘗宮の一般公開期間中は皇居東御苑の見学者は本丸側へ入れないように移動を制限しているようでした。
江戸城・百人番所

何度も歩いた事がある、大番所付近の虎口から本丸側へ入ります。
大嘗宮・大番所付近の虎口

大嘗宮・大番所付近の虎口

ここまで来て初めて天守台前に大嘗宮が建てられた事を知りました。
江戸城だった頃は大奥があった場所だと思います。
大嘗宮

大嘗宮の前には人が集まっていて近くで写真を撮るのは難しそうです...。
ただ、雨のおかげで人が少ない方なので、頑張れば近づけそうです。 後日のニュース写真を見ると、人が多い日にはこの辺りから人で埋め尽くされているようです。
握舎(あくしゃ)と呼ばれる大嘗祭の参列者が着席した建物があったのは、恐らくこの辺りかと思います。 建物は一般公開前に撤去されています。
大嘗宮

風俗歌国栖古風握、小忌握舎
向かて左側にあるのが風俗歌国栖古風握(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく)で、楽師が歌を奏した場所です。 右側にある、少し黒っぽい屋根の建物が小忌握舎(おみあくしゃ)で、男子皇族が参列した場所です。
これらの建物は中央の鳥居を挟んで反対側にもシンメトリーに配置されています。
大嘗宮・小忌握舎

南神門、衛門握
混雑し過ぎてこれ以上前に出れなかったので手を上に伸ばしてなんとか撮影...。
中央にある鳥居がある門が南神門です。 門は東西南北と、この門の奥にある雨儀御廊下の中央にもあるようです。
門の両側にある建物が衛門握(えもんあく)で、武官の装束を着た人が着座した場所です。
大嘗宮・南神門

衛門握も南神門を挟んで両側に配置されています。 ここに人を座らせたと言うのは、なんとなく随身門を意識しているような印象を受けます。
衛門握の外側には庭燎舎(ていりょうしゃ)が置かれ、ここで庭火が焚かれました。
大嘗宮は凝った彫刻なども無く、思ったよりも質素な印象を受けます。
大嘗宮・衛門握、庭燎舎

膳屋(かしわや)の壁です。
壁は茣蓙みたいな物で覆われており、乾燥させた椎の葉が挟まれています。 何か意味があるとは思いますが詳しい事は不明です...。
膳屋は神饌(しんせん)を調理する建物で東西両側にあります。 神饌とは神様へのお供え物で、こちらは西側なので悠紀殿(ゆうきでん)への神饌を調理します。 東側は主基殿(すきでん)の神饌を担当する役割のようです。
大嘗宮・膳屋

西神門付近の様子です。
向かって右側の白い屋根の建物が膳屋です。
左奥に見えるのが悠紀殿で、膳屋から行列を立てて神饌が運ばれます。 悠紀殿供饌の儀が行われる場所で、反対側の主基殿でも主基殿供饌の儀が行われます。
大嘗宮・西神門

少し北側に移動すると雨儀御廊下(うぎおろうか)の一部と、中央にある神門が見えます。
向かって左側の建物が廻立殿(かいりゅうでん)で、天皇陛下はここで儀式の為の準備を整えます。
恐らく、ここから雨儀御廊下を通って悠紀殿、主基殿に入って儀式を行うのだと思います。
大嘗宮・雨儀御廊下付近

北側から見た大嘗宮を眺めた様子で、大嘗宮が良く見えます。
昔は大嘗宮を5日で建造していたようですが、現在ではとても無理な話なので数か月をかけて建造します。 また、今回からは取り壊された後の建材も再利用されるようです。
この場所に建てたもの以外でしたが、建物の質素さも以外でした。
大嘗宮・廻立殿

帰りはあまり通った事が無い平川門からにします。
「平川」と言う門の名前は、この辺り存在していた上平川村、下平川村と呼ばれる地名からのようです。 太田道灌の頃からここに門があったとの事なので、かなり昔から出入口として使用されていたようです。
1635年に現在のような枡形虎口になったようで、写真は外から内側の門を眺めた所です。
江戸城・平川門

平川門の虎口内には帯曲輪門があります。 枡形虎口の中に内部に通じる2つの門を配置しているのは不自然な感じがします。 昔からこの構造だったのでしょうか?
この門は不浄門とも呼ばれているらしく、不浄門は死者や罪人を出すのに使われたと言われる門です。 ここから人目に付かないように出入りしていたのかも知れません。
江戸城・帯曲輪門

こちらが平川門外側の門です。
内側と比べると小さな感じがする門です。 枡形に誘い込んで叩く感じでしょうか?
江戸城・平川門

平川橋
最初の平川橋が架かったのは 1614年なので、平川門が枡形虎口になる前から橋は存在していました。 現在の平川橋は 1988年に架け替えられた物です。
ここからの風景は、意外と江戸時代の風景に近いのかも?
江戸城・平川橋


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