福島県 向羽黒山城跡2020年09月20日

向羽黒山城は福島県大沼郡会津美里町にある蘆名盛氏が築城した山城です。
1189年、佐原十郎左衛門尉義連は源頼朝から奥州藤原氏征伐の恩賞として会津北部が与えられます。 その子盛連が相州芦名郷に移り住んだ頃から蘆名の姓を名乗ったと伝わります。
向羽黒山城は 1561年に盛氏によって築城が開始され、1568年に完成します。 盛氏は福島県周辺を広く支配下に置く全盛期を築きます。
しかし、盛氏の死後、摺上原の戦いで伊達政宗に大敗し、この地の支配は伊達氏に移ります。
その後、蒲生氏郷、上杉景勝へと支配が移り、景勝が米沢に移封になると 1601年に向羽黒山城は廃城になります。

向羽黒山城跡整備資料室
向羽黒山城の麓にある資料館で、続100名城のスタンプはここの玄関先においてあります。
スタンプは何時でも押せ、パンフレットも置いてあるので助かります。
到着したのは会館前の時間だったので、資料館には城の散策後に立ち寄りました。
向羽黒山城跡整備資料室

駐車場(二西曲輪群)
資料館から細い山道を登り、最初に見つかった大きな駐車場にバイクを止めます。
駐車場はもっと上にもありますが、ここを起点に向羽黒山城の散策を開始する事にします。
地図を見るとここは二西曲輪があった場所のようで、周辺には土塁の跡も残っています。
トイレ近くにあった、熊注意の看板が気になりますね....。 地元と思われる人々は、クマ避けの鈴を鳴らしながら歩いているし、最近出没したのでしょうか?
向羽黒山城・二西曲輪群

向羽黒山城・二西曲輪の土塁

先ほどの駐車場手前の道路は、土橋のように両側が深く掘り下げられています。
気が付かずにスルーしそうですが、ここは、三曲輪と二西曲輪を分断する為に作られた大きな堀切跡です。
向羽黒山城・二西曲輪手前の堀切

駐車場から道路を少し登った所の右側に「みかえり坂」と呼ばれる水手曲輪方面への入り口があります。 今回はここから水手曲輪→二曲輪→一東曲輪へと進みたいと思います。
散策路は、ちゃんと整備されている感じで良かったです。
この入り口の少し先に盛氏が屋の湯をやっていたと伝わる御茶屋場曲輪があったのですが、気付かずにスルーしてしまいました...。
向羽黒山城・みかえり坂

水手曲輪付近
パンフレットに記載されている縄張図を見ると、二曲輪北側にあるのが水手曲輪と呼ばれている場所らしく、複雑に入り組んだ大小の曲輪で構成されています。
保存状態も良いようで、土塁や虎口跡も良く分かります。 ここが向羽黒山城で一番の見所かも知れません。
素晴らしい場所ですが、熊が気になるので、スマホから音を出しながら散策を続けます...。
向羽黒山城・水手曲輪付近

向羽黒山城・水手曲輪付近

向羽黒山城・水手曲輪付近

二曲輪虎口
二曲輪と水手曲輪の境目にある枡形虎口です。
上から見ると虎口の外側は細い土橋になっています。
巨石が目立つのですが、石垣でもあったのでしょうか?
向羽黒山城・二曲輪虎口

向羽黒山城・二曲輪虎口

三日町口虎口
二曲輪の入り口付近です。 写真は虎口の外側ですが、天正時代に内枡形に改修されたようです。
枡形には石積の門もあったようですが痕跡は見て取れませんでした。
天正時代は伊達政宗に城の所有者が移っているので、改修は政宗の時代でしょうか?
向羽黒山城・二曲輪・三日町口虎口

二曲輪
一曲輪はこれほど広く無く、実質的には本丸に近い役割だった場所です。
水場にも近く、主殿のような建物もここにあったようです。
向羽黒山城は、城全体としては大きいのですが、広々とした曲輪は少ないようです。
向羽黒山城・二曲輪

二曲輪の反対側にある虎口です。
門があったようで、坂道には石垣もあったようです。
巨石が散乱している場所があったので、石垣は存在していたのだと思いますが、石垣が現存している場所は、非常に少ない印象を受けます。
向羽黒山城・二曲輪虎口

二曲輪を通過した先には道路と駐車場が現れます。
一見するとただの道路ですが、この道路は、一曲輪と二曲輪を分断する為に作られた堀切の底に作られています。 この道路を下ると、バイクを止めた駐車場に行き着きます。
向羽黒山城・一曲輪、二曲輪間の堀切

ここが一曲輪の入り口です。 山頂までは、もうひと踏ん張りです。
向羽黒山城・一曲輪入口

竪堀
一曲輪に通じる登城路の隣にある大きな竪堀です。
ここも、向羽黒山城の見所の一つだと思います。
竪堀は現存していても繁みに隠れて見えない場合が多いので、これだけ綺麗に見えるのは珍しいかも知れません。 写真では伝わりにくいですが、結構、急な斜面です。
向羽黒山城・竪堀

向羽黒山城・竪堀

登城路を登っていると左側にあった堀跡です。
登城路は湾曲しており、それに沿うように空堀が掘られているようです。
向羽黒山城・堀跡

一曲輪虎口付近から下を見ると、一曲輪の下段を守る曲輪群が見えます。
土塁跡も識別できるので、保存状態は良さそうです。
向羽黒山城・一曲輪虎口付近の曲輪

一曲輪手前にある虎口で、見た感じ枡形虎口のように見えます。
周辺には堀や土塁の跡も良く残っています。
上から見ると、当時の形状が良く分かります。 ここを通り過ぎると尾根に突き当たります。
向羽黒山城・一曲輪虎口

尾根に出てから一曲輪の方に進むと、一曲輪を囲むような大きな空堀が現れます。
当初、麓にあった竪堀がここまで来ているのかと思いましたが、別物のようです。
向羽黒山城・一曲輪手前の堀

上にある曲輪側から見ると、堀に沿って迂回させられている事が良く分かります。
多分、当時は堀ももっと深く、曲輪側にも塀や柵があって直登は困難な構造だったのだと思います。
向羽黒山城・一曲輪手前の堀

虎口を過ぎると一曲輪かと思いきや、まだ先がありました。
一曲輪の手前には2段の曲輪が存在し、一曲輪の出入り口を防御しています。
この先がようやく一曲輪のある山頂です。
向羽黒山城・一曲輪手前の曲輪

一曲輪
思ったよりも広いですが、二曲輪と比べると、だいぶ狭いです。
山頂からの眺めは素晴らしかったです。 ここからなら敵の動きも良く見えます。
平な田園が続く印象的な風景です。
ここから来た道を引き返し、二曲輪の駐車場があった付近まで戻ります。
向羽黒山城・一曲輪

向羽黒山城・一曲輪からの眺め

大手口への散策路があるので、そこを通ってバイクを止めた駐車場に戻る事にしましたが、ここを通った事は失敗でした。
家臣団屋敷があった所を通っているはずですが、雑草が多くてほとんど見れず、大手口付近の虎口もあまりはっきりしませんでした。 また、コロナ自粛で人通りが少ないせいか、大きな蜘蛛の巣が大量にあり、ここを通るのは覚悟が必要です....。 苦労した割には見所が少なかったです...。
向羽黒山城・大手口へ

ようやく東京都も県外移動の自粛を解除したので、約半年ぶりに 100名城、続100名城巡りが再開できました。 いつ自粛要請が再開されるかわかりませんが、こうしてバイクに乗って史跡巡りができるのは良かったです。 向羽黒山城は、自粛明けに最初に来た城ですが、中々良い城でした。