神奈川県 川崎大師2020年12月26日

川崎大師の通称で広く知られてますが、正式名称は平間寺です。 成田山新勝寺髙尾山薬王院らと同じ、真言宗智山派の寺院で、総本山は京都の智積院です。
元武士であった平間兼乗(ひらまかねのり)は、この地で漁師として生計を立てていました。 ある日、夢のお告げに従い海に網を投げると大師の木像がかかりました。
高野山の尊賢上人が偶然、兼乗のもとに立ち寄り木像の事を知ります。 その後2人の尽力により、その像を本尊とする平間寺が 1128年に創建されました。

大山門
川崎大師の総門で、現在の門は 1977年に再建された物です。
門の四方には、東寺の国宝を模した四天王像(持国天、増長天、広目天、多聞天)が安置されています。 訪問時は年末だったので、正月用の門松を準備している最中でした。
川崎大師・大山門

川崎大師・大山門

大本堂
1964年に建立された大本堂です。 川崎大師は 1945年4月4日の空襲で既に被害が出ていたようですが、4月15日の川崎大空襲でほとんどの建物を消失しました。 現在の姿は戦後復興によるものらしく、全体的に新しい建物が多いです。
本尊は厄除弘法大師。 海から引き上げられたと伝わる像の事だと思います。 空襲で焼けなかったのでしょうか....。
川崎大師・大本堂

川崎大師

経蔵
見るからに新しい経蔵は 2004年に建立された物です。
経蔵は経典などの書物を収蔵する建物で、川崎大師の経蔵には中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240冊が収蔵されています。 内部の拝観も可能で、建物の壁が経典で埋め尽くされている様を見る事ができます。
川崎大師・経蔵

聖徳太子堂
1996年に建立された、聖徳太子像を安置する御堂です。
毎年2月22日に聖徳太子年祭が執り行われるようですが、川崎大師と聖徳太子との関係性が良く分かりません...。 まぁ、聖徳太子を祀るお寺は多いので、珍しい事ではありませんが...。
川崎大師・聖徳太子堂

清瀧権現堂
京都醍醐寺の守護女神を分躰して勧請した社のようです。 本尊は准胝観音と如意輪観音です。
清瀧権現はインド神話の善女龍王がルーツのようで、弘法大師空海が帰国する際、船の中に現れた言い伝えがあるので、その関係で鎮座しているのかも知れません。
川崎大師・清瀧権現堂

八角五重塔
建立されたのは 1984年です。
やはり、川崎大師のほとんどの建物は戦争で焼けてしまったようです...。
八角形の五重塔は、少し珍しいかも知れません。 八角形は、円に近い建物と言う事で、「包容力」「完全性」を意味しているようです。
地下には釈迦如来を祀る慰霊堂、一階には五智如来、真言八祖が祀られています。
川崎大師・八角五重塔

不動堂
1964年に建立されました。
本尊は不動明王像で、成田山新勝寺御本尊の分躰を勧請しました。
川崎大師・不動堂

福徳稲荷堂
築年代がはっきりしませんが、川崎大師で唯一、空襲の難を逃れた御堂のようです。
空襲で本堂が焼けてしまった時、本堂の場所に移築したらしいので、再度移築されたので無ければ昔はここに本堂があったのかも知れません。
そう言えば、福徳稲荷は高尾山薬王院にもありますね...。
川崎大師・福徳稲荷堂

川崎大師・福徳稲荷堂

大本坊
1934年に建立されますが、戦時中の空襲で外郭を残して焼失します。
修復後、本堂が再建されるまでの間、こちらが仮本堂として使用されていました。
平和な時代である現在は、お正月の準備に忙しそうでした。
川崎大師・大本坊

鐘楼堂
1789年に建立された鐘楼は 1923年の関東大震災で倒壊しました。 1930年に現在の場所に再建されますが、川崎大空襲で焼失します。 現在の鐘楼は 1948年に再建された物です。
梵鐘は 1795年に鋳造された物のようなので、大震災や戦災を乗り切った苦労人のようです。
川崎大師・鐘楼堂

つるの池
元々はひょうたん形の池で、多摩川の水を引いていたようです。 1934年に大部分が埋め立てられ、現在の姿になったようです。 池の水は非常に綺麗だったので、定期的に入れ替えているのかも知れません。 プールみたいな感じです。
川崎大師・やすらぎ橋

やすらぎ橋
つるの池に架かるのがやすらぎ橋です。
欄干には悟りへと向かう段階を表す梵字20文字が刻まれています。
川崎大師・やすらぎ橋

降魔成道釈迦如来像
やすらぎ橋を渡った先にある、金ピカな仏像です。
1977年に造られたようなので、最近の仏像のようです。 川崎大師は古い寺院ではありますが、戦後復興を具現化しているような寺院です。 戦前の姿は、ほとんど残っていません。
川崎大師・降魔成道釈迦如来像

薬師殿
川崎大師で一番驚いたのがこの建物です。
1970年に旧自動車交通安全祈祷殿として建立されたインド寺院風の建物のようです。 当時の日本寺院でこのような設計が採用された事自体に驚きます。 2006年に新しい自動車祈祷殿が完成したので 2008年からは薬師殿として利用されています。 現在の自動車交通安全祈祷殿も、この建物とまったく同じ外観なので、意外と気に入られているデザインなのかも知れません。
川崎大師・薬師殿

不動門
戦後復興時の 1948年に、現在の大山門の場所に山門として移築されました。
現在の大山門を建立するにあたり、1977年に現在の場所に移築されます。
境内はお正月の準備で忙しそうです。 そろそろ帰る事にしましょう。
川崎大師・不動門

川崎大師・不動門

正月直前にお参りに来る人は少ないと思いますが、参道にはそれないの人出がありました。
多分、コロナ過でも正月は混雑するのでしょう...。
川崎大師・参道

歴史的な建物が存在する寺院を想像していたのですが、川崎大師は少し違いました。
でも、戦争被害の大きさや、そこからの復興を感じられる場所でもありました。
この平和な時代を感謝しながら新しい年を迎えましょう。