東京都 青梅宿(1)2021年02月14日

青梅街道は、青梅で取れた石灰を江戸城築城に使用する為の運搬路として整備されました。
また、甲州街道の裏街道として使用され、青梅の街はそんな旅人や御岳山への参拝者などの受け入れ先として発展しました。
青梅の街はバイクで何度も通った事がありますが、駐車場が分からないのでいつも素通りしていました。 今回は電車で青梅駅まで行き徒歩で周辺を散策する事にします。

梅岩寺
梅岩寺は長徳年間(995 ~ 998年)に開山した歴史ある寺院です。 また、永禄年間(1558 ~ 1569年)に金剛寺八世・良淀が中興したと伝わります。
1857年、上町より出火した火災が延焼して焼失。 現在の建物は 1935年に再建された物です。
枝垂桜が有名ですが季節的まだ早く、梅が綺麗に咲いてました。
青梅駅の裏側なので、少し行き難い場所かも知れません。
青梅・梅岩寺

青梅・梅岩寺・梅

梅岩寺・本堂

青梅・梅岩寺

旧稲葉家住宅
青梅街道沿いにある旧家で、江戸時代後期(18世紀後半)の建物と考えられています。 一部、年代が異なる建物があるようで、裏の土蔵は 1886年頃に建てられた物で、棟割長屋門、井戸の覆屋はそれ以降に建てられた物のようです。
稲葉家は青梅宿の町年寄を務めた名家で、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいた豪商でした。
建物内部の見学も可能です。 恐らく何度もこの家の前をバイクで通過していたと思いますが、今回初めて内部を見学しました。
青梅・旧稲葉家住宅

青梅・旧稲葉家住宅

青梅・旧稲葉家住宅・蔵

青梅・旧稲葉家住宅・蔵

森下陣屋跡
徳川家康が関東に入国すると八王子代官所が設置され、この場所にも陣屋が設けられました。
現在の八高線沿線から多摩川上流付近を管理してましたが、1744年頃に森下陣屋は廃止になります。 現在は陣屋の痕跡は残っておらず、熊野神社の敷地となっています。
今は普通の住宅街ですが、当時は、もっと宿場町的な雰囲気だったのかも知れません。
青梅・森下陣屋跡

金剛寺
平将門が創立したと伝わる寺院です。 元亨年間(1321 ~ 1323年)に頼遍上人よって中興されますが、1831年の火災にて表門、鐘楼以外は全て焼失します。
現在の表門は17世紀前半~中頃に建立された物と推定されており、明治初期の区画整理により現在の場所に移動され、屋根などに一部改修がほどこされています。
金剛寺には古い梅の木があり「将門誓いの梅」とも呼ばれています。 熟しても色が青い事から「青梅」の地名の由来になったとされる梅の木です。
梵鐘は 1666年に寄進された物で、銘文は青梅の地名や平将門の逸話を伝える貴重な資料でもあります。
青梅・金剛寺・表門

青梅・金剛寺の梅

青梅・金剛寺・鐘楼

青梅・金剛寺の梅

庚申塔
結構、古そうな感じです。 元々は 30m ほど西にあったようです。
取り壊された庚申塔も多いと思いますが、今でもこうして見守っています。
青梅・庚申塔

清宝院
正式には真言宗成田山 清宝院と言います。 開基の詳細は不明なようですが、室町時代に創建されたようで何度か火災で焼失しているようです。 元禄年間(1688 ~ 1704年)に晴山法印が再興し、1879年に現在の場所に移転再建されました。 成田山新勝寺の本尊を模刻した不動明王立像を本尊とします。
山門は18世紀末頃の建物で、埼玉県の「軍茶利明王地蔵院光円寺」から移築された物です。
青梅の寺院は明治期に整備された頃の姿が多いような印象を受けます。
青梅・清宝院・本堂

青梅・清宝寺・神変大菩薩

青梅・清宝院・六地蔵

青梅・清宝院・山門

ここまでで、青梅宿ウォーキングの中間地点に到達。
後半に続きます。


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