東京都 青梅宿(2) ― 2021年02月14日
前回の続きです。
柳淵橋を渡って釜の淵公園に入ります。
釜の淵公園は蛇行する多摩川に囲まれた場所にある公園で、公園の中には旧宮崎家住宅や青梅市郷土博物館などがあります。
旧宮崎家住宅
現在の青梅市成木8丁目付近にあった民家を青梅市郷土博物館の隣に移築復元した建物です。
19世紀初期に建てられたと推定される、一般的な農民の住居です。 一般的な農民はもっと粗末な家なのかと思たのですが、意外と立派な建物です。
訪問時は囲炉裏にも火が入っており、建物内の見学も可能でした。
青梅市郷土博物館
青梅市の歴史や民俗に関する資料を展示している資料館です。 先ほどの旧宮崎家住宅も、多分、郷土博物館の付属設備だと思います。 訪問時は「郷土工芸技術展」の特別展が行われてました。
じつは、今回の青梅宿散策を決めたのは青梅市郷土博物館に四式重爆撃機「飛龍」の部品が展示されている事を知ったからです。 飛龍の部品は数点しか現存してません。
飛龍のエンジンの一部
1945年 8月、浜松飛行場での事故機支援任務を終えて帰還する途中、何等かのトラブルにより青梅市山中に重爆撃機「飛龍」が墜落しました。 2004年、墜落した飛龍のエンジンの一部が見つかり、青梅市郷土博物館に展示されています。
エンジンの中心部分付近の部品のようです。
B29のエンジン
飛龍のエンジンの隣には B29 のエンジンの一部も展示されています。
1945年 4月、北多摩地区を空襲した B29 の1機が墜落しました。 エンジンは多摩川に落ちて放置されてましたが、1979年に引き上げられ 1993年からここに展示されています。
飛龍のエンジンとくらべると、非常に巨大な星形エンジンです。
常保寺
応永年間(1394 ~ 1428年)に真言宗の寺院として創建されたと伝わりますが、火災により資料が失われており、正確な所は不明のようです。 1400年頃に現在の臨済宗に転宗します。
1870年の火災でほとんどの建物を消失しており、全体的に建物は新しいです。
非常に印象的な招き猫地蔵。
昭和初期、廃寺になった寺から引き取って常保寺に安置したようです。
訪問当日はコロナ仕様でした。 竈門炭治郎風の市松模様のマスクがカッコいいです。
このお地蔵様に会う為にこのお寺に訪問しました...。
住吉神社の方に近づくと、猫を擬人化した看板が目に入ります。
バス停も、猫の看板が飾られてました。 多分、近くの「昭和幻燈館」の宣伝かと思いますが、可愛らしくて個人的には好きです。
住吉神社
1369年に住吉大社を勧請したのが始まりのようです。 1513年に領主の三田氏によって拝殿が再建され、青梅村の鎮守となります。 現在の社殿は江戸時代に再建された物のようです。
特に訪問する予定は無かったのですが、前を通ったので参拝する事にしました。 階段が長かったので参拝を少し躊躇しましたが、頑張って登る事にしました。
途中にあった猫の恵比須様と大黒天様は、他で見た事が無かったので出会えてよかったです。
常保寺の猫地蔵と言い、青梅って、猫と何か関係があるのでしょうか?
延命寺
1369年に李竜和尚が創建して寺院で本尊は釈迦如来です。
本堂には青梅七福神の大黒天も祀られています。 蔵を改装したような白い建物は、提灯をみると李竜和尚を祀っているのかも知れません。 他の寺院で言えば開山堂のようなものだと思います。
入り口付近には小さいですが、しっかりとした作りの五重塔があります。
幼子を亡くした悲しみから個人が制作を依頼して奉納した物のようですが立派な物です。
西分神社
駅の反対側で少し離れた場所にあるので行き難い場所にあります。
室町時代初期に創建された伝承があり、隣にある宗徳寺の寺門の守護神として祀ったのが始まりのようです。 明治初年に西分村の鎮守社に格上げされたようです。 神仏分離令とも関係があるのでしょうか? 境内は静かで、地元の人以外はあまり来ないのかも知れません。
なんだかんだで、結構歩きました。
今回、実際に歩いてみて青梅市内に社寺が多い事を知りましたが、江戸時代は寺が宗旨人別帳で住民を管理していたくらいなので、もっと身近な存在だったのかも知れません。
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