岡山県 備中松山城(2) ― 2022年05月04日
前回の続きです。
単独の層塔型天守かと思ったのですが、石垣横の入り口は付櫓だそうで、扱いとしては複合型天守になります。 現存してませんが、八之平櫓とも連なっていたようなので、天守出入り口付近は当時とは少し違っているのかも知れません。
階段を登って天守1階に入ります。
囲炉裏
床板を刳り貫いて周辺を石板で囲んでいる場所が囲炉裏です。 天守内にこのような方法で囲炉裏を設置しているのは珍しいかも知れません。
籠城戦を想定して、このような設備を備えているらしいです。
木組みで補修されている柱。
見るからに年代が異なるので柱を補修した跡でしょう。
使える部分はそのまま使い、部材を少しでも無駄にしない職人の技が伝わります。
天守で良く見る急な階段。
階段と言うより梯子に近いです。 狭い空間を有効利用するので、このような角度になるのでしょう。
ここを登って2階に行きます。
2階から屋根を眺めた所。 立派な梁です。
屋根の構造を見やすくする為でしょうか? 蛍光灯で照らされているので構造が良く見えます。
このサイズの木材を国内で調達するのも難しくなりつつあるのかも知れません。
天守裏にある、もう一つの現存建築物である二重櫓を見学しに行きます。
天守を出た所で、前日、備中高松城で出会った人と偶然再会して軽く挨拶をしました。
100名城巡りは同じ場所を目指してる場合が多いので、気付かずに再開してる人が今までもいたのかも知れません。
階段の右側に少し見えてる門が 1994年に復元された本丸東御門です。
本丸の真横を歩きます。
小さな天守ですが、歴史を感じさせる良い天守です。
二重櫓
天守後方にある二重櫓で、水谷勝宗が 1681 ~ 1683年頃に建てられました。
備中松山城には14の櫓がありますが、意外にも2階建以上の建物はこの櫓と天守だけです。
内部には使用されていた瓦や木材が展示されています。
2階に上がると「奉上棟 昭和33年7月8日」の棟札が見えました。
昭和34年に解体修理されているので、その時の棟札だと思います。
古民家で良く見かける曲がった梁が独特な美しさを感じさせます。 真っすぐな木材よりも扱いが面倒だと思いますが、そこが大工の腕の見せ所なのかも知れません。
帰る前に二之丸から本丸の石垣を少し眺めていく事にします。
訪問時には気付かなかったのですが、この先には水之手門跡や、九之平櫓跡があったようです。
この美しい石垣と土塀で満足して引き返してしまいました。
だんだん人が増えてきたので、これ以上混雑する前に下山して武家屋敷を見学する事にします。
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