広島県 三原城2022年05月03日

鎌倉幕府成立後、土肥実平・遠平親子は安芸国沼田荘の地頭となります。 その頃より遠平は小早川を名乗るようになります。 遠平の孫、茂平は 1207年頃に高山城を築き、この地を支配する拠点とします。 1544年、嫡男がいなかった小早川興景は、毛利元就の三男、隆景を養子として迎え入れます。 その頃に先ほど訪問した新高山城が築城されます。
三原城の築城年代は諸説あるようですが、1567年とする説が有力なようです。 小早川氏の拠点は新高山城から三原城に移り、織田氏との戦いの本営が三原に置かれます。
関ヶ原の戦い以降は福島氏の広島城の支城となり、大幅な拡張が行われます。 福島氏が改易になると浅野氏の所有となり幕末を迎えます。

三原城のスタンプは三原市歴史民俗資料館に置かれてます。 現在の三原城はJR三原駅と一体化している為、周辺にバイクを駐車できる場所がありません。
少し距離がありますが、ここにバイクを停めて三原城まで歩く事にします。
現在の三原城は天守台と船入櫓の石垣くらいしか残っていません。 また、天守台は駅と一体化しており、天守台へは駅の構内から入ります。
三原駅

三原駅

天守台
駅の構内から外に出ると屋上庭園のような場所にでます。
ここが三原城の天守台だった場所です。 でも、ここに天守が建てられた事は無かったようです。
代わりに、天守台の南西、北西、北東の隅に二重櫓が建てられました。
三原城・天守台

三原城・天守台

内堀の様子。
当時、三原城は海岸に面しており、「浮き城」とも呼ばれてました。
恐らく、この堀の水も海水だったと思います。 堀の上にあるのがJR三原駅で、そこを山陽新幹線が走っています。 要するに、本丸を横切るように駅が建てられ、そこを新幹線が通過しています。
なかなか凄い場所に駅を作ったものです。
三原城・内堀

三原城・内堀

かなり高い石垣です。 高さは約 13m あります。
築城時の石垣は見つかってないようですが、曲輪の周辺は低い石垣で囲まれていたらしいです。
浅野氏は修復以外の目的で城の修復を行っていないので、現存するのは小早川氏が織田との戦いで改築した物か、福島氏が改築した物だと思われます。
博物館の解説を読むと、天守台東側は福島氏の頃の石垣のようです。
三原城・内堀

奥に見える櫓台のような場所が後藤門石垣です。
こちらから見て左側に門がありました。 また、門の奥には水堀もあったようです。
こうして見ると、かなり広い水堀です。
三原城・後藤門石垣

船入櫓跡
新幹線が本丸を貫通しているなど、三原城の現存する遺構は多くはありません。
城下町がそのまま都市化した場合は仕方ない事なのかも知れませんが...。
駅を出て少し南に進むと船入櫓跡の石垣が現存します。 福島氏の時代の遺構のようです。
三原城・船入櫓跡

三原城・船入櫓跡

船入櫓の石垣は直線では無く、一部階段状になっています。
これは入隅横矢と呼ばれる構造で、二方向から攻撃する為の仕組みです。
なお、城だった頃はこの石垣の周辺は海に囲まれていたようです。
三原城・船入櫓跡

三原城は都市開発されてしまっているので、見学可能な遺構は少ないです。
ただ、資料館の資料が充実していたので、なかなか良い勉強になりました。