茨城県 土浦城2019年12月01日

土浦城は室町時代中期に小田氏の家臣だった今泉三郎によって築城されますが、後に同じく小田氏の家臣だった菅谷勝貞に奪われます。 佐竹氏が小田氏の領地に侵攻すると、小田氏治は土浦城に逃れます。
秀吉の小田原征伐の後は徳川家康の次男、結城秀康の領地となります。 以降は城主が点々と変わり、土屋氏の時に明治維新を迎え廃城になります。
なお、1685年に松平信興が大改修した時の様子が現在見て取れる縄張りのようです。
廃城後は県庁や自治会館などに使用され、現在は亀城公園として使用されています。

バイクは公園利用者も利用可能な土浦市立博物館第2駐車場に止めました。
「出庫の際、駐車券が必要」と書かれてましたが、訪問当日は出入口のバーが解放状態で出入りは自由でした。 博物館以外の人も利用する駐車場なので利用率は高そうです。
土浦市立博物館第2駐車場

続100名城のスタンプは土浦城東櫓に置かれてますが、土浦市立博物館と共通券なので先に博物館を見学します。 展示物は霞ヶ浦の生活に関する物が中心でした。
なお、遺構と現在の比較地図を見た感じでは、博物館は水堀を埋め立てた上に建てられているようです。
土浦市立博物館

内堀
土浦城の内堀は、当時の位置と変わっていないようです。 ただ、水堀の石垣としては低すぎるので、水堀の石垣などは公園整備した時に作られた物のように思えます。
土浦城は何重もの水堀で囲まれていたのですが、内堀以外は埋め立てられて現存していないようです。
土浦城・内堀

土浦城・内堀

西櫓
1620 ~ 1621年頃に建てられた櫓のようです。
老朽化と 1949年の台風による破損によって一度回解体されましたが、1992年に当時の部材を利用して再建されました。 櫓は本丸を囲む土塁の上に建てられています。
土浦城・西櫓

本丸
昔は本丸御殿があったようですが、1884年(明治17年)の火災で焼失しており今は更地になっています。 天守台が存在しないので、天守は無かったみたいです。
本丸周辺の土塁は現在でも痕跡が見て取れます。 昔は土塁の上に塀があったと思いますが、今は木が植えられています。
土浦城・本丸

土浦城・本丸の土塁

霞門
こちらは貴重な現存建物のようで、松平信興が城の改修をした頃に建てられた物です。
東櫓の隣にあり、こちらは搦め手口になるようです。
土浦城・霞門

霞門付近を内堀側から見た所。
奥に見えるのが東櫓。 霞橋を渡って突き当りを右に曲がった所が霞門です。
ひょっとしら、霞橋を渡った先にもう一つ門があって枡形虎口になっていたのかも知れません。
土浦城・霞門の外側

土浦城・霞門の外側

東櫓
こちらも 1884年(明治17年)の火災で焼失しています。
現在の建物は 1998年に木造建築で復元された櫓で、内部では土浦城に関する資料が展示されています。 続100名城のスタンプはこの櫓の受付に置かれています。
土浦城・東櫓

土浦城・東櫓

太鼓櫓門
1656年に現在の姿に改修された櫓門で、関東では唯一の現存櫓門です。 
名前から察するに、時を知られる太鼓が置かれていたと思われます。
なかなか立派な門ですが、ここが本丸への正門でしょうか?
土浦城・太鼓櫓門

土浦城・太鼓櫓門

太鼓櫓~東櫓の間で復元された塀。
このような塀が本丸全体を囲んでいたのだと思います。
土浦城・本丸の塀

二の丸
ここには武具や兵糧を収納する蔵などがあったようですが、廃城後に払い下げられて建物は残っていません。 現在はグラウンドとして整備されています。
土浦城・二の丸

二の丸は本丸を囲むようにL字型になっています。
こちらは南東側の様子で芝生で覆われており、曲輪の周辺には土塁の痕跡も見て取れます。
土浦城・二の丸

土浦城・二の丸の土塁

旧前川口門
ここは二の丸「二之門」があった場所ですが、現在は前川口門が移築されています。
前川口門は多計郭(亀城プラザや筑波銀行がある辺り)と町屋を仕切る門でしたが町役場の門として移築され、その後は等覚寺山門として移築されます。 1981年に現在の場所に移築されました。
土浦城・旧前川口門

土浦城は公園化が進んでいる城ですが、本丸周辺を中心に当時の姿が良く残っている城でした。
再建する場合も木造で忠実に再現しており、予想外に良い城跡でした。