茨城県 笠間城2019年12月01日

1219年、笠間時朝が佐白山に築城したのが始まりで、以降、約 380年に渡って笠間氏が本拠地として使用します。 南北朝時代の 1337年、佐竹義春の攻撃を受けますが撃退しています。
戦国時代の笠間氏は宇都宮氏に従属していたようですが、豊臣秀吉による小田原平定後の 1590年、宇都宮氏に攻められ衰退します。 変わって宇都宮氏家臣の玉生高宗が城主になると登城路などが整備されます。
その後も浅野氏、蒲生氏、松平氏、小笠原氏など、城主が点々と変わり、牧野氏が城主だった時に明治維新で廃城となります。

かさま歴史交流館 井筒屋
続100名城のスタンプはここで押せます。 ここで笠間城の縄張り図がもらえるので、先に訪問しておいた方が良いかと思います。 笠間城の駐車場の場所を教えてもらい、関連資料を見学した後に散策に向かいます。
かさま歴史交流館 井筒屋

駐車場
本来であれば千人溜駐車場が一番近いのですが、台風の影響で使用不能でした。
井筒屋では大黒石の方に右折した所の駐車場を教えてもらったのですが、そちらも満車状態だったので通り沿いにあるこの駐車場にバイクを止めました。
笠間城・駐車場

千人溜駐車場(的場丸)
訪問時は車両侵入禁止でしたが、ここが千人溜駐車場です。
不自然に広い空間だったので縄張り図を確認してみると、昔は的場丸と呼ばれていた曲輪だったようです。 千人溜とも呼ばれていたようなので、武者溜りのような場所だったと思います。
笠間城・千人溜駐車場

大手門付近
千人溜駐車場から少し進んだ場所で、奥に石垣が見える辺りが大手門があった場所です。
千人溜と大手門の間は堀切で分断されていました。 道路の両側が掘り下げられているので、ちょうどこの辺りが堀切だったのかも知れません。
土橋か?とも思いましたが、昔の絵図を見ると橋が描かれているので、最近になって作られた道路だと思います。
笠間城・大手門付近

笠間城・大手門付近

大手門付近の石垣の上はこんな感じの道路になってますが、使われている感じはしません。
縄張り図を見ると、このループ状になっている道路の向かって左側に帯曲輪が存在するようですが、曲輪に入れるような感じはしなかったので先に進みます。
笠間城

二の丸付近
恐らく、向かって右側の方に二の丸が広がっているはずなのですが、この時期でも雑草が多くては入れる状況ではありませんでした。
笠間城・二の丸付近

本丸への虎口付近
この辺りの石垣は今でも残されています。
現在の笠間城は正保年間(1645 ~ 1648年)に描かれた絵図に近い状態なので、その頃には存在していた石垣だと思います。 ただ、石垣の積み方にバラツキがあるので、何度か修復されているのかも知れません。
笠間城・本丸虎口付近

ここの階段を登ると本丸に出ます。
笠間城・本丸虎口付近

本丸
ここは公園として整備されているので本丸の広さが良く分かります。
浅野氏が 1643年に山裾に下屋敷を建てるまでは、この辺りが政務の中心だったはずです。
ここにはどんな建物があったのでしょうか?
笠間城・本丸

宍ヶ崎櫓跡
本丸の西側に細長く突き出た場所があり、その先に宍ヶ崎櫓がありました。
向かって左側には土塁と思われる痕跡も残されています。 櫓はこの奥にありました。
曲輪の先は切り立った崖になっています。
笠間城・宍ヶ崎櫓跡

笠間城・宍ヶ崎櫓跡

八幡台櫓跡
本丸には更に1段高くなっている場所があり、そこには八幡台櫓がありました。
1645年に浅野長直が播磨赤穂藩に国替えになる前に修復した記録があるようで、その頃には存在していたようです。
ここにあった物見櫓は廃城後に移築され、真浄寺に現存する事を井筒屋で教えてもらいました。
笠間城の散策が終わった後に見学に行く事にします。
笠間城・八幡台の土塁

笠間城・八幡台櫓跡

本丸の東側
八幡台櫓跡から本丸の東側を眺めた所です。
正確な場所は判断できませんでしたが、古い絵図を見ると向かって右奥の方に櫓があったようです。 縄張り図では「南西の隅櫓跡」と記載されてました。 本丸内から見ると南東側に思えるので名称に違和感を感じましたが、「南西」は天守から見た位置なのかも知れません。
笠間城・本丸東側

堀切
笠間城の天守は、本丸から更にひと山登った所にあります。
本丸と天守曲輪は堀切で分断されており、古い絵図を見ると橋が架けられてました。 また、堀切の本丸側には櫓門があったようです。
堀切の跡は今でも残っていますが、当時はもっと深く切り込んでいたと思います。
笠間城・天守付近の堀切

天守付近
しばらく階段を登ると天守の石垣が見えてきます。
この階段は頂上の神社付近ではかなり急になるので、雨の日は注意が必要かと思います。
特に、階段を下りる時は少し怖かったです。
石垣は台風のダメージがあったようで、シートが被せられていました。
笠間城・天守へ

笠間城・天守付近

笠間城・天守付近

佐志能神社
現在は天守のあった場所に佐志能神社が鎮座しています。
あまり聞いた事の無い神社ですが、全国に4社存在するようです。
神社自体は築城前から存在していたようですが、現在の社殿は櫓を転用しているようなので、明治以降に建てられた物だと思います。
笠間城・佐志能神社

笠間城・佐志能神社

八幡台櫓(真浄寺)
笠間城の散策が終わった後、真浄寺に移築された八幡台櫓を見学しに行きました。
八幡台櫓は廃城後の 1880年に真浄寺に移築され七面堂として使用されています。 見た感じ、御堂として使用する為に少し変更されている感じはします。
笠間城の現存建物は少なく、他に城門2棟が民家に移築されて残されているようです。
笠間城・八幡台櫓