奈良県 春日神社~宇陀の城下町2023年10月07日

宇陀松山城への登り口は、「まちかどラボ観光案内所」の裏ともう一つあり、春日神社の方からも登れます。 そこで、帰りは春日神社の方に下りてみる事にします。
宇陀松山城を描いた「阿紀山城図」には「春日神社」と記されてる事から、春日神社も宇陀松山城の一部だったと考えられています。

こちらの登城路は観光案内所側と比べると道が細く、舗装もされていません。
道の駅の駐車場を使った場合は、こちらの登山口から登るとかなり遠回りになると思います。
道が荒れているという事はありませんが、こちら側から宇陀松山城に登る人は少ないのかも知れません。
宇陀松山城・春日神社方面登城路

しばらく山道を歩くと春日神社に到着。
奈良の春日社を勧進したと考えられていますが、正確な創建年代や経緯は不明です。
宇陀松山城の城下町が整備され始めたのは 1592年頃のようなので、勧進したのはその頃なのでしょうか?
春日城は宇陀松山城の防御施設としても機能していたようですが、この石垣は城があった頃の物でしょうか?
宇陀 春日神社・入り口

水鉢
宇陀松山城は 1615年に福島高晴が改易された事により廃城にされ、宇陀には代わりに織田信雄が入ります。 この水鉢は、1693年に萩野五郎左衛門が寄進した物です。
 1694年、宇陀松山藩主織田信武は藩の財政方針で対立した重臣を殺害して自害する不祥事を起こします。 織田家は改易されずに国替えで済ましたが、その後、宇陀は幕府領となります。
ちょうど、その頃に寄進された水鉢ですね..。
宇陀 春日神社・水鉢

もっと小さな神社かと思ったのですが、想像以上に立派な神社でした。
ご挨拶して行く事にします。
宇陀 春日神社

宇陀 春日神社

宇陀 春日神社

宇陀 春日神社

城の一部として機能していた事を考えると石垣が気になります。
宇陀 春日神社

宇陀松山城 春日門跡
春日門は、16世紀末から 17世紀初頭に建てられたと考えられています。
織田家の時代、春日神社周辺は藩屋敷だったみたいです。 春日門は、武家屋敷と町人が住む地域の境目として配置された虎口だったようです。
宇陀松山城・春日門跡

手前の石垣は櫓台だったようです。
現在の櫓台は、17世紀後半に織田家が向屋敷、藩屋敷を建てた時に再構築した物らしいです。
宇陀松山城・春日門跡

城下町だった場所に出ました。
今でも、城下町だった頃の雰囲気が強く残っています。
宇田川の東側は、だいたい町人が暮らしていた場所です。 この辺りは、上屋敷から町人地区に出た辺りです。 城下町の雰囲気を楽しみながら駐車場に戻る事にします。
宇陀城下町

薬の看板がありました。
宇陀の城下町は「くすりの町」でもあったようで、江戸時代後期には 50軒を超える薬種問屋がありました。 この辺りは歴史的建造物群保存地区なので、古い建物が残されています。
宇陀城下町・諸木野屋

宇陀城下町

宇陀城下町

結構、良い場所なのですが、意外と観光客は少なめかも知れません。