大分県 今市石畳 ― 2023年05月05日
ななせダムを見学した後、まだ時間が余ったので近くの史跡を検索して発見したのが今市石畳でした。 ダムの近くなので行ってみる事にします。
肥後街道は、熊本と鶴崎を結ぶ街道で、1588年に加藤清正が肥後国に入国する時に通った街道として伝わります。 当初、大津、内牧、久住、野津原、鶴崎に宿場が整備されましたが、1594年に慶長年間(1596 ~ 1615年)には今市にも宿場が整備されます。
参勤交代の時に使用されており、当時の石畳が現在まで保存されています。
今市石畳の中間付近に立派な駐車場があります。
石畳を通って駐車場に入ったのですが、石畳の振動が尋常じゃ無かったです。
石畳の両端は平なのですが、それでも所々、石畳を乗り越える場所があり、振動でバイクが故障しないのか心配になりました。
駐車場に到着してから分かったのですが、石畳を通らなくても県道 412号から駐車場に入れる構造になってましたね...。
道幅 8.5m の中央部分、幅 2.1m が石畳になっています。
石畳部分も平に見えますが、実際に上を走るとかなりの振動が車体に伝わります。
オフロードバイクでなければ、両端の平な場所を走る方が無難です..。
今は静かな住宅街ですが、昔はこの街道の両側に宿場や茶屋などが並んでいたのでしょう。
信玄曲り
街道の中央部分が食い違い虎口のようなクランク状になっています。
敵が侵入した時に先を見えなくする防御目的以外にも、火災時の延焼を抑える目的もあるようです。 宿場町内の食い違い虎口は、他でも何度か見かけた記憶があります。
当時はここを境に上町、下町に分かれてました。
多分、「武田信玄」の「信玄」だと思いますが、なぜ「信玄曲り」?
大分と武田家の関わりが分からないです...。
丸山神社
宿場町の熊本側に丸山神社があります。 扁額が「丸山八幡宮」なので、そちらの方が正式な名称なのかも知れません。
思ったよりも立派な神社だったので、参拝してから帰る事にします。
細かい彫刻が施されている立派な楼門です。
言い方が悪いですが、神社の大きさに対して不釣り合いなくらい立派な楼門です...。
1720年に今市の豪商だった松田庄右衛門尉長次が寄進した物です。
1813年、1831年、1855年に屋根の葺替修理が行われています。
本殿の前は廊下のような拝殿になっており、拝殿には美しい天井ががありました。
立派な割には誰もいない、ちょっと寂しい感じの神社ですが、宿場町として賑わっていた頃はもっと多くの人が参拝していたのかも知れません。
でも、荒廃している感じが無いので、地元の人たちによって維持管理されているのかも知れません。
ここが、今回の旅の最終地点となりました。
この後、フェリーに乗って帰ります。
日本100名城、続100名城のスタンプラリーを始めた事により、こんな遠い場所までバイクで出かけるようになりました。 当初の目的は達成出来たので、場合によっては九州にバイクで来るのは今回が最後かも知れません。 それを考えると、ちょっと寂しい感じがします。
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