岐阜県 墨俣一夜城2023年09月17日

墨俣城は 1566年(1561年との説もあり)に木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜で築いた城として有名です。 織田信長が美濃に侵攻する際の拠点として墨俣城の築城を命じ、佐久間信盛、柴田勝家らが着手しますが敵の妨害にて立て続けに失敗します。 それを引き継いだ木下藤吉郎が一夜で築城したと伝わる伝説の城です。 藤吉郎は上流で部材をある程度組立ておき、それを川に流して運んで築城したと伝わります。 しかし、実在しなかったとの意見もあります。
墨俣一夜城は、木下藤吉郎が墨俣城築城から稲葉山城攻略までを解説する資料館です。

墨俣町観光客用駐車場
資料館からは少し離れてますが、歩いて5~6分程度と言った感じです。
この駐車場はガラガラでしたが、資料館にはそれなりに人がいました。 多分、車で来てると思うのですが、どこに駐車してるのですかね...。 他に駐車場は無さそうなんですが...。
墨俣町観光客用駐車場

駐車場から川沿いに出ると、立派な天守が見えてきます。
仮に、墨俣城が実在したとしても、柵で囲まれた砦のような物だったと思うので、こんな立派な天守は無かったはずです。
資料館の建物を天守の形で建てたと言った所でしょう。 でも、個人的には嫌いじゃ無いです。
普通の四角いコンクリートの建物ではつまらないので...。
墨俣一夜城

館内は5階建で、展示物もそれなりに充実しています。
1階は美濃墨俣宿を中心とした郷土資料の展示で、2~3階が秀吉の墨俣城や、出世の道のりの説明になります。
ここに来たのは13年ぶりです。 少し懐かしさを感じながら展示物を見学しました。
墨俣一夜城

墨俣一夜城

資料館の5階からの眺めです。
高い建物が無いので、意外と当時の風景に近いかも。
地形も平坦なので遠くの方まで良く見えます。
下に見える橋がここに来る時に渡ってきた太閤出世橋。
資料館の見学が一通り終わったので、周辺を見学してみましょう。
墨俣一夜城・資料館からの眺め

墨俣一夜城・資料館からの眺め

藤吉郎の馬柵
墨俣城は、高さ1間、地中3尺の馬柵で囲まれていたとの伝承があります。
一夜城が実在したのであれば、馬柵もある程度組立た状態で上流から流したのでしょう...。
墨俣一夜城・藤吉郎の馬柵

墨俣白髭神社
豊国神社かと思ったら、白髭神社でした...。
江戸時代の書物にはそれらしき記載がある事から、思ったよりも古くから付近に白髭神社が存在していたようです。 現在の場所に移ったのは 1938年のようです。
詳細は不明ですが、多分、近江の白髭神社を分祀したのでしょう。
墨俣一夜城・墨俣白髭神社

墨俣一夜城・墨俣白髭神社

隣の小さい方が豊国神社でした...。
こちらは、墨俣一夜城の資料館が建てられた時に大阪の豊国神社から分祀したようです。
ここの豊国神社は、資料館とセットで建てられた神社のようですね..。
墨俣一夜城・豊国神社

秀吉と言えば、低い身分から天下人にまで上り詰めた「出世」のエピソードでしょう...。
それにあやかろうとする物があちらこちらに...。
大きな神社ではありませんが、結構、願懸けに来る人が多いみたいですね...。
願を託した瓢箪は、10月の「すのまた秀吉出世まつり」でお焚き上げされるようです。
墨俣一夜城・出世の泉

墨俣一夜城・出世の泉

秀吉の一夜城は、有名なエピソードですが、本当にあったのでしょうか...。
でも、何も無い所から逸話は出来ないような気がするので、誇張されているかも知れませんが、何かしらの似たような出来事があったのかも知れません。
しかし、ここに初めて来てから13年も経つとは...。