京都府 曼殊院門跡2026年01月10日

曼殊院は、延暦年間(782 ~ 806年)に最澄が比叡山頂に創建され、その後、比叡山西塔へ移り東尾坊と称しました。 天仁年間(1108 ~ 1110年)、東尾坊を曼殊院と改め北山(現在の京都市右京区)に別院を建立します。 その後、その後御所内公家町に移り、八条宮智仁親王の第二皇子良尚法親王が 1656年に現在の場所に移します。 「門跡」とは皇族や摂家の血縁者が住職を務める寺院の事を言います。

弁天堂
曼殊院門跡の手前に小さな神社がありました。
訪問時は曼殊院門跡と関係があるのか分かりませんでしたが、曼殊院門跡のサイトにも掲載されているので、こちらも曼殊院門跡が管理している神社のようです。
敷地に入ると、池に囲まれた場所に弁天堂が建てられてました。 祀られているのは弁財天です。
曼殊院門跡・弁天堂

曼殊院門跡・弁天堂

天満宮
弁天堂の隣には菅原道真を祀る天満宮がありました。
曼殊院と北野天満宮は古くから繋がりが深かったようです。
天歴年間(947 ~ 957年)、北野天満宮が造営されると当院の是算国師が別当職となり、それ以降、曼殊院は明治まで北野天満宮の当職を歴任します。
天満宮がここに建てられたのも、北野天満宮との繋がりが関係しているのかも知れません。
曼殊院門跡・天満宮

勅使門
皇族の関係者のみが通る事が出来る特別な門です。
勅使門は閉じられている事が多いような印象があります。 当然、出入りは出来ませんが勅使門が開いてるのは珍しいかも知れません。
門の両側の白壁にある 5本の線は、格式を伝える物らしいです。
左奥の方に一般拝観者用の受付があるので、そちらから中に入ります。
曼殊院門跡・勅使門

入り口
ここで拝観料を支払って中に入ります。 門の奥に少し見える建物が庫裏です。
真冬のこの時期は観光客が大勢くるような時期ではありませんが、曼殊院付近の観光客は少なかったです。 ただ、意外と海外旅行客の割合が高かったです。
満衆院門跡・入り口

建物内の撮影は出来ないので、撮影は庭園の写真のみになります。
ここは中庭になります。
こんな小さな空間でも綺麗に整えてあります。
満衆院門跡・中庭

盲亀浮木乃庭
宸殿に面している大きな庭園です。
「盲亀浮木」とは、盲目の亀が 100年に一度水面に頭を出した時、偶然流れて来た流木に頭が入ると言う「偶然性」を説明する仏教の譬え話です。 この話は、人間に生まれることは、これよりも遥かに難しい「偶然」から起きる尊い出来事である事を教えています。
白い砂は大海を表現しているようで、奥に見える平たい石は流木でしょう。 そう考えると、流木に見立てた石の近くにある、小さな石が亀の頭かな?
曼殊院門跡・盲亀浮木乃庭

奥に見える門が唐門です。
中からだと位置関係が分かりにくいのですが、勅使門から中に入ると右側に唐門があるようです。
皇室の人は勅使門から唐門を通って宸殿に入る感じでしょうか?
旧宸殿は明治時代に売却されており、現在の宸殿は明暦年間(1655 ~ 1658年)に建立された物を 2022年に復元した物のようです。
曼殊院門跡・盲亀浮木乃庭

書院庭園
書院に面している細長い庭園です。
多分、白砂が水の流れを表していて、その上にある緑地が鶴島と亀島だと思います。
五葉の松が植えられているのが鶴島みたいなので、大書院側にあるのが鶴島だと思います。
この斜め上に伸びる末が鶴をイメージしているのだと思います。
曼殊院門跡・書院庭園

小書院側に面している所にある緑地が亀島でしょう。
島の中央にある、こんもりとした感じの松が亀をイメージしているのかな?
奥に見える建物が小書院です。
人がいないのでゆっくりと庭園が見れるのは良いのですが、この時期はかなり寒いです。
曼殊院門跡・書院庭園

曼殊院門跡・書院庭園

曼殊院門跡・書院庭園

北大路バスターミナルからバスで行ったのですが、休日はバスの本数が少なくて苦労しました。
休日は電車の方が良いかも知れません。
ただ、電車にしろバスにしろ、降りてからそれなりの距離を歩く事になるので行き難い場所ではあります。