茨城県 鹿島海軍航空隊跡(1) ― 2024年10月13日
鹿島海軍航空隊跡は、旧鹿島海軍航空隊の跡地を戦争遺産として 2023年 7月から一般公開している場所です。 鹿島海軍航空隊は 1938年に開隊され、主に水上機操縦訓練が行われていました。
先日行った予科練の卒業生が、本科の飛行練習生教程へと進み、ここで水上機操縦訓練を受けていたようです。 しかし戦況が悪化し、終戦前の 1945年には特攻隊の基地へと役割が変わり、ここから沖縄への出撃が行われました。
戦後は東京医科歯科大学の施設となり診療所としても使用され、1997年まで地域医療を支えます。
現在航空隊の敷地だった場所は、旧庁舎跡、国立環境研究所、水防拠点、民有地などに分かれており、旧庁舎跡が鹿島海軍航空隊跡として一般公開されています。
美浦村週末カフェ 駐車場
見学の受付は週末カフェで行います。
駐車場は建物の裏にあります。 10時少し前に到着しましたが、結構、訪問客が多かったです。
ガイドツアーに参加すると、一般公開されていない庁舎2階を見学する事も出来ます。
美浦村週末カフェ
ここは自動車庫だった場所のようで、車の下に入って車底部を整備する為の設備跡なども残されています。 また、病院だった頃は倉庫として使用されていたようです。
鹿島海軍航空隊跡は映画の撮影にも良く使われるようで、内部には売店の他に映画のポスターなども展示されてました。 めちゃくちゃ暑かったので、見学した後はここでかぎ氷を買って食べました。 すごく美味しかったです。
劣化した建物をそのまま使っているのも良いです。 下手に修繕するとこの良さが失われてしまうので、安全性との両立は難しい所です。 この建物だけでも、結構、見る所がありました。
軽油庫跡
ここは主に車両用の燃料貯蔵庫だった場所です。
頑丈そうなコンクリート製の建物全体が土に覆われていました。
引火性の高い燃料を扱うので、多分、爆撃に備えた構造なのでしょう。
近くには同じ覆土式の航空機用大型燃料庫もあったようです。
今回は見学ツアーに参加したので、普段は見れない内部まで見学する事が出来ました。
確証は無いのですが、多分、この石柱が海軍時代の隊門の一部だと思います。
当時のコンクリート塀も残っているらしいので、この塀も海軍時代の物かも知れませんね...。
隊門の近くにあった衛兵控所の跡と、トイレの跡です。
今では見かける事が減った和式トイレですね...。
建物が無くても基礎部分が残れば、それだけでも当時の間取りが把握できて良いですね..。
この整地用ローラーも、海軍時代の物らしいです。
現在、ソーラーパネルが設置されている場所は練兵場だったらしく、その整地用に使われていたローラーのようです。 このローラーを自動車やトラクターに取り付けて使用していたらしく、厳しい訓練の海軍とはいえ、人力でこのローラーを転がしていた訳では無さそうです。
本庁舎跡
鉄筋コンクリート製の建物です。 正面から見た時はニ階建の建物かと思ったのですが、三階建のようです。 戦時中から霞ヶ浦分院の一時期までの間は迷彩色だったようです。
この建物は 1997年までは霞ヶ浦分院として使用されていたのですが、手入れがされないと 20 ~ 30年程度でこれだけ劣化するんですね..。
この場所は病院として使用するには不便な場所に思えたのですが、どうやら結核の治療や研究が行われていたようなので、意図的に人工密集地を避けたのかも知れません。
本庁舎2F
2Fはガイドツアーに参加すれば見学可能です。
照明が無いので内部は真っ暗で、ガイドが照らす懐中電灯を頼りに見学するような感じでした。
90年前の建物なので痛みが激しいです。 多分、フリーに見学させるにはもう少し整備しないと危険だとの判断だと思います。 この雰囲気を残しながら耐震対策するのは難しい施工になりそうですね..。
本庁舎1F
ガイドによる説明が終わった後は自由見学になります。
1F は 2F よりも綺麗に整備されています。 1Fは資料などが展示されていました。
この建物は病院として使用されていた年数が長いので、海軍庁舎として使用してた頃とは少し内装が変わっていると思います。 病院だったと言われると、何となくそんな雰囲気も残っています。
軍事施設だったので、当時の建物としては強度が高い建物だったのかも知れません。
本庁舎内の見学が終わったので、他の建物跡を見学する事にしましょう。
by mz80 [茨城県] [旅行] [コメント(0)|トラックバック(0)]
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