京都府 壬生寺 ― 2026年01月12日
今回の京都旅の最後に壬生寺周辺を散策してから帰る事にします。
この辺りは住宅地なのですが、新選組の屯所があった場所として有名なので訪れる観光客も多いです。
新選組屯所 前川邸
この邸宅は、1863年から 2年間、新選組の屯所として使用されました。
前川本家は掛家(幕府や藩の公金出納を扱う商人)を営む商人でしたが、仕事柄、役所からの信頼も厚かった為、上洛する浪士組(後の新選組)の宿舎を世話する事になりました。
その為、前川荘司の屋敷を浪士組の宿舎として提供する事になり、住人は本家に移り住む事になりました。 新選組の屯所が西本願寺に移る際、十両ほど置いて屋敷を返したようです。
急に屋敷を取られた方からしたら、いい迷惑だったかも知れませんが、それなりの額の賃料は支払ったようですね...。
なお、新選組を離脱した副長山南敬助が切腹させられたのはこの前川邸でした。
八木邸
前川邸のすぐ近くにあり、八木邸も新選組の屯所として使用されました。
上洛した浪士組(後の新選組)は前川邸、八木邸、南部邸、新徳寺に分かれて宿舎としていました。 八木家は村の経営や壬生狂言に携わっていた家系のようです。
八木邸は芹澤鴨が暗殺された場所です。 酒に酔って八木邸に帰ってきた芹澤鴨は、愛妾のお梅と寝ていた所を襲撃され命を落とします。 この時、お梅、平山五郎も殺害されます。
お梅は巻き添えのように思えますが、暗殺事件の目撃者だった事から口封じの為に殺されたとの説があります。
現在は和菓子屋さんです。
ここで受付をすれば、ガイド付きで屋敷の方を拝観する事が出来ます。
この門の奥が八木邸。
暗殺現場と言われる部屋に残る、刀傷が生々しいです。
芹澤鴨と一緒に殺されたお梅の遺体は引き取り手が無く、八木家でも扱いに苦労したようです。 正直、いきなり屋敷を提供させられた上、部屋は血まみれ、引き取り手の無い女の遺体..。 新選組が西本願寺に移った時はホッとしたのかも知れませんね...。
壬生寺
先ほどの前川邸、八木邸から少し南側に移動した場所にあります。
壬生寺は 991年に創建した古い寺院で、本尊は延命地蔵菩薩です。
ここは新選組が隊士たちの訓練場として使用した事で広く知られています。 剣術以外に砲術の訓練もしたようなので、こんな場所で大砲を撃っていたのでしょうか...。 ただ、当時の壬生は町の中心から外れており、農村地帯だったようです。
表門
1799年に再建された正門です。
壬生寺に残る建物の中では一番古い建物のようです。
この門の他、入り口として北門と南門があります。
南門を出た先が仏光寺通です。 通りの名前を後で知って「ん?」と思ったので調べてみたら、名探偵コナンの「迷宮の十字路」に出てくる「仏光寺」はこの通りを四条駅の方に進み、駅を通過した少し先にある「佛光寺」がモデルのようです。 今度、近くに来たら行ってみたいと思います。
一夜天神堂
1852年に再建された建物です。
建物の中央に一夜天神、右に金毘羅大権現、左に六所明神が祀られています。
一夜天神とは、菅原道真が大宰府に左遷された時に、この壬生の地に訪れて一夜を明かした事が由来のようで、ようするに菅原道真の事のようです。 よって、学業成就の神様です。
また、六所明神は壬生寺の鎮守です。
御利益があるとされる、遠方親族の安全祈願は、金毘羅大権現が航海安全や病気平癒の神様だからだと思います。
一夜天神堂の近くに撫牛がありました。
最初は何でと思いましたが、一夜天神が菅原道真だと知ると、ここに撫牛がいるのも納得です。
三福川稲荷
「三福川」は 「壬生川」という地名に由来します。
元々、この辺りは湿地帯だった場所で、稲作や菜の花の栽培が行われてました。
お稲荷さんは五穀豊穣の神様なので、その為に祀られたようです。
しかし、お稲荷さんは、全国各地の神社仏閣のどこにでも祀られてますね...。
夜啼き地蔵
「おせき地蔵」とも呼ばれています。
病気平癒や幼児の夜泣き止めの御利益があると言われてます。
多くの人に撫でられたのでしょうか? 顔が擦り減って表情が少し分かりにくくなっています。
阿弥陀堂
案内には 1213年に創建とありました。
創建時の壬生寺は現在の場所よりも東側だったようで、現在の地に移ったのは 1213年のようです。 阿弥陀堂はその時に建立されたのかも知れませんが、1257年の火災で伽藍は全て焼失しているようです。 1843年に前川家の尽力により再建されたようなので、何度も再建を繰り返していたのかも知れません。
現在の阿弥陀堂は老朽化により 2002年に再建された物です。
建物の地下には資料館があり、また、新選組のグッズなども販売しています。
壬生塚
阿弥陀堂の裏側には庭園のような場所があり、その中島は壬生塚と呼ばれています。
壬生塚には新選組隊士の墓や、近藤勇や土方歳三の胸像などがあります。
阿弥陀堂の地下にある資料館を見学した後に壬生塚を見学しました。
鳩の数が凄く多く、人を全く怖がりません。 鳩を踏まないように歩くのに苦労するほどです。
壬生塚に芹沢鴨と平山五郎の墓もありました。
平山五郎は壬生浪士組の副長助勤(局長、副長に次ぐ幹部職)だった人物で、芹沢鴨が暗殺された時に平山五郎も暗殺されてます。
ようするに壬生塚には暗殺した側も、暗殺された側も祀られている事になります。 あの世で喧嘩して無ければ良いですが..。
本堂
壬生寺は 1962年の火災により、本堂、および本尊地蔵菩薩像など、多くの文化財を消失しています。 なお、火災の原因は放火だったようで、賽銭を盗もうとした所を注意された逆恨みだったようです...。 すごい災難ですね...。
鐘楼
梵鐘は 1848年に鋳造され、鐘楼は 1851年に再建された物です。
壬生寺は 1788年の天明の大火で全焼しています。 天明の大火が原因で再建したのかと思ったのですが、50年以上も間が空いてるので再建は別の原因かも知れません。

弁財天
現在の建物は 1894年に再建された物です。
本尊の辧財天は、清水寺の延命院より移された秘佛です。
清水寺とも繋がりがあるのですね...。
普段は非公開ですが、正月三ヶ日に公開されるようです。 弁財天は子孫繁栄、金運上昇のご利益があるとされています。
水掛地蔵堂
安置されている石仏は 1649年に造られた地蔵菩薩です。
水を掛けて祈ると願いが一つ叶うと言われてます。
建物の形状は八角堂のようです。
見た感じ新しそうな建物ですが、情報が見当たらず、何時頃建立されたのかは不明でした。
中院
1829年に再建された建物で、壬生寺に唯一残こる塔頭です。
わりと最近の建物かと思ったのですが、思ったよりも古い建物でした。
洛陽三十三観音霊場第二十八番札所の本尊である、十一面観音菩薩像が安置されてます。
また、京都十二薬師霊場の第四番札所でもあるようで、歯薬師如来像も安置されているようです。




















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