徳島県 一宮城(2) ― 2024年05月03日
一宮城散策の前回の続きです。
本丸
ここまでは、中世の「土の城」でしたが、本丸だけが立派な石垣造りでした。
どうやら、本丸の石垣を築いたのは蜂須賀氏の時代と考えられているようです。
蜂須賀氏は 1585年に一宮城の城主になりますが、翌年には拠点を徳島城に移しています。 四国は既に平定されてる訳ですし、ここまでの大規模改修は必要だったのでしょうか...。
本丸からの眺めの良好です。
本丸に鎮座していた若宮神社です。
小笠原長宗が築城時に分祀したのは一宮神社なので、その時の神社とは直接関係無いと思います。 一宮城の若宮神社が何時頃から祀られているのかは良く分かりませんでした。
そんなに古い物には思えないですが...。
本丸から小倉丸に移動する途中にある堀切です。
非常に大きな堀切で、一宮城で最大規模らしいです。
恐らく、小倉丸側から本丸に容易に登れなくする為の物でしょう。
登山道を進むと開けた場所に出てきました。
最初、手前の階段状の場所を「これも遺構?」と思ったのですが、地図を見ると「畑跡」と書かれてたので、多分、城の遺構では無いと思います。
畑跡の奥に見える茂みが小倉丸です。
小倉丸の虎口
だいぶ崩落してますが、それなりに当時の形状を残してます。
案内に「崩落対策中」と書かれてたので、何らかの対策をしている最中なのだと思います。
小倉丸は細長い曲輪で、本丸と反対側の西側が土塁になっています。
土塁の保存状態は良さそうでした。
小倉丸の曲輪を奥の方に行くと、土塁がカーブしている場所があります。
近くに「櫓台」の案内があったので、この辺りに物見櫓のような物があったのかも知れません。
小倉丸は良い場所でしたが、ここまで来ると登山道を1周する感じなのでそれなりに時間が必要になります。 本丸の石垣を見て引き返す人が多いのかも知れません。
実際、ここから先はそれほど整備されてる感じはありません。
小倉丸西の空堀
小倉丸を出て、椎丸方面に進むと、小倉丸西側の大きな空堀が見えます。
遊歩道を挟んで、先ほどの空堀の反対側は竪堀になっています。
こうして見ると、小倉丸はかなり重厚な造りになっています。
ここが本丸南西側の重要な防御拠点だった事が良く分かります。
椎丸に向かう途中にあった開けた場所。
椎丸は3段構造なので、この辺りの少し開けた場所もも、椎丸の下段の曲輪だったのかも知れません。 ただ、草木が多く、周りの形状や現在位置が良く分からないので、何とも言えませんが...。 ここに来るなら、冬場とかの方が良いかも知れませんね...。
椎丸
登山道から横道に入る感じで椎丸に入ります。
この入り口が城だった頃の虎口だったのかは不明です。
椎丸を構成する一番上段の曲輪でも、それほど広くはありません。 椎丸は、一宮城の西側を防御する曲輪の一つだと思います。
水ノ手丸
曲輪の周辺が盛り上がっているので、多分、土塁跡だと思います。
水ノ手丸は2段構造になってますが、それほど広くはありません。
曲輪跡だと思って見なかったら、ただの山道にしか見えないかも知れません。 ただ、不自然に平らな場所なので、人工的に整地された場所だと言う事は注意していれば気が付くかも知れません。
蔭滝
ここが一番の難所かも知れません。
滝の横に設置されている鎖を使って下に降りてきました。 天気の悪い日にここを通るのは危ないかも知れません。
ここは採石場だった可能性があり、この滝は人口的に作られた可能性があるようです。
この滝の上が貯水池で、意図的かは知りませんが、この人工的に作られた可能性がある滝自体も防御施設として機能していた可能性があります。
この滝を通り過ぎれば、緩やかな斜面をダラタラと下って行くだけです。
一宮城の登山道を1周して、だいたい1時間程度でした。
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