神奈川県 猿島砲台(1)(再訪)2025年11月02日

今回は猿島の再訪です。
2012年に一度、訪問しているので、あれから 13年ぶりの訪問です。
猿島には砲台跡があり、猿島砲台は明治時代から建設が始まった東京湾要塞の一部です。
最近、東京湾要塞を見学しており、大房岬砲台富津元洲堡塁砲台館山海軍航空隊観音崎砲台千代ヶ崎砲台、などを見学してきたので猿島砲台を再訪する事にしました。

猿島砲台は 1881年(明治 14年)から建設が始まり、1884年(明治 17年)に完成しました。
結果的に敵艦船が東京湾に侵入して攻撃するような事は太平洋戦争でも発生しなかったので、猿島砲台は戦闘に使われる事は無かったです。 ただ、太平洋戦争が激化すると 1941年(昭和 16年)頃に高射砲が 5座設置され米軍機に向かって射撃していたようです。
終戦後、米軍に接収された後も猿島への渡航は可能だったようですが 1993年に猿島への航路が廃止。 その後、航路は復活し、現在は猿島公園として管理されています。

猿島ビジターセンター
猿島行 9:30 の始発に乗船する為、9:00 に猿島ビジターセンターに到着。
しかし、既に行列が出来ており、結局 10:00 の臨時便に乗船する事になりました。
写真では誰もいないように見えますが、写真撮影している背中側は長蛇の列です...。
普段は 1時間間隔で運行しているのですが、混雑時は臨時便を出して 30分間隔で運行してくれるようです。
猿島ビジターセンター

これから乗船する臨時便のフェリー。
この後、満員状態になりました。
当然、並んでいる人は全員乗船する事は出来ません。 想像以上に混雑してました。
乗船時間は短く、順番待ちしている時間の方が長いくらいです。
この時間、帰り客はいないので、乗客を降ろすとフェリーは直ぐに引き返していきました。
猿島・フェリー

猿島・フェリー

海軍港碑
一見すると最近建てたモニュメントに見えますが、新しく見えるのは青い文字と補強材の影響で、中にある石碑は 1883年(明治 16年)に建てられた物です。 1877年(明治 10年)に海軍港碑は存在していたようですが、当時の物は木造で、その後、現在の石材に建て替えられたようです。
気になったのは最初の海軍港碑が建った年代です。 猿島砲台の建設が始まったのは 1881年(明治 14年)なので、砲台建設の前に既に猿島には軍港が存在しており、砲台建設中にこの石碑が建ったのだと思います。
猿島・海軍港碑

猿島発電所
1895年(明治 28年)に建てられた発電所です。 
建設当時は蒸気機関でしたが、現在はディーゼルに置き換わっています。
今でも島の電力はここで発電しているようです。
猿島発電所

猿島発電所

猿島の中央にあるメインの通り道。
深く掘り下げられた切通しになっており、島の外から様子が見れない構造になっています。
猿島

兵舎1
掘り下げてれた通路の壁に兵舎が造られています。
多分、外部から見えないようにする事と、防御性を高める為だと思います。
建物部分の壁は煉瓦積ですが、それ以外の部分は石垣で補強されています。
煉瓦の積み方はフランス積なので、それだけでも年代的な古さを感じます。
猿島・兵舎1

猿島・兵舎1

弾薬庫1
こちらは弾薬庫のようです。
弾薬庫は居住空間では無いので窓が無い造りのようで、砲弾の運搬用に出入り口も大きくなっているようです。
見学ツアーに参加すると内部も見学できるようですが、既に午前中の空が無かったので今回は諦めました。 多分、休日は事前予約しないと難しいかも知れないですね..。
猿島・弾薬庫1

帰路通しは史跡保存の為、板張りの遊歩道になっていますが、一部、穴が開いていて当時の通路を見る事が出来ます。
蓋のような物が見えますが、排水溝のような物でもあるのでしょうか?
滑りそうな通路です。
猿島・当時の通路跡

トイレ跡
弾薬庫の正面にあった窪みはトイレだった場所のようです。
左側の四角い部分が大便用で、左奥の細長い方が小便用みたいです。
他の部屋と違い、建物正面の壁が残って無いです。 崩れた感じもしないので、もしかしたらトイレの壁は木造だったのかも知れないですね...。 さすがに壁が無いとは思えないし..。
猿島・トイレ跡

兵舎2
こちらの兵舎の両脇は登り階段になっています。
この階段から上に上がる事は出来ませんが、少し奥に行くと見学者用の階段が設置されています。
先ほどの兵舎1の上には 12.7広角砲が設置されていたようなので、見学者用の階段から切通しの上に出てみる事にします。
猿島・兵舎2

猿島・兵舎2

12.7 広角砲跡
切通しの上に登って 12.7 広角砲があったと思われる場所に行ってみましたが、草ボーボーで何が何だか分かりません...。
かろうじて砲座の後と思われるコンクリートが見える程度です。 あまり保存状態が良くないので見学対象にする気が無いのかも知れません。
猿島・12.7広角砲跡

2つ目の 12.7 広角砲跡です。 こちらは保存状態が良さそうです。
最初、ここが第二砲台の 24cm 加農砲の砲座かと思ったのですが、場所的にここは太平洋戦争時に設置された 12.7 広角砲の砲座だと思います。
第二砲台跡は、弾薬庫の上にあると思われますが、微妙に見学ルートから外れているので見学出来ないようです。
猿島・12.7cm広角砲座

猿島・12.7cm広角砲座

弾薬庫2
2つ目の弾薬庫です。 兵舎と弾薬庫が交互に並んでいます。
左奥の小さな入り口は通路のようです。 手前の大きな入り口の先に 2部屋ある構造のようで、その部屋には揚弾井として使われていた竪穴があります。 そこから切通しの上にある砲座に砲弾を運んでいたようです。
先ほどの弾薬庫と合わせ、これら弾薬庫の上に第二砲台があったようで、弾薬庫の両脇に砲座が 2つあったようです。 第二砲台には 24cm 加農砲が 4門あったようです。
猿島・弾薬庫2

この空間もトイレだったとの話しがありますが不明です。
確かに、床に穴が開いていてそれっぽい場所ではあります。
奥にも部屋がありそうですが、良く分からない場所です。
猿島

トンネル
島の中心付近にあるトンネルに到着しました。
大体、1887年頃(明治 20年頃)から煉瓦積の主流がフランス積からイギリス積に変わったようです。
猿島にはフランス積の建造物が多く残ってますが、日本で 1887年(明治 20年)以前の煉瓦積建築物は非常に少ないようで、日本全国で 22件程度しか確認されていないようです。
非常に貴重な建物が残る猿島の遺構ですが、周辺の石垣には多くの落書が残されており、非常に残念です。
猿島・トンネル

猿島・トンネル

トンネルの先は次回へ