茨城県 鹿島神宮2024年10月13日

鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にある神社です。
正確な創建年代は不明です。 神武天皇が東方遠征で窮地に陥った時、武甕槌大神の「韴霊剣」の力によって難局を乗り越えました。 その感謝として即位した年にこの地に武甕槌大神を祀ったのが鹿島神宮の始まりと伝わります。 中世~近世になると武家に武神として崇められるようになります。
鹿島神宮に「韴霊剣」が現存しますが、これは 1300年前に作られたと推定されている直刀で、2代目の「韴霊剣」と考えられています。 この「韴霊剣」は悪疫を退散させ平和をもたらすと伝わります。

参拝者第一駐車場
早朝 7:30 に到着しました。 駐車場の係りの人がいなかったのですが駐車場は開放されていたので駐車場と思われる場所にバイクを停めました。 この時間でも車がどんどん入って来たので、日中はここの駐車場は混雑していると思います。 ただ、参拝者用の駐車場は他にもあるので、停める場所は大丈夫だと思います。
なお、戻って来た時には駐車場の係りの人がいたので話した所、停めた場所は自転車用で、バイク用は別の場所との事でした...。 なので、この場所にバイクは停めない方が良いです。
鹿島神宮・参拝者第一駐車場

大鳥居
東日本大震災で倒壊し、2014年に再建された大鳥居です。
先代の大鳥居は 1968年に建てらた物で御影石で出来てました。 国産の花崗岩の鳥居としては日本最大だったようです。
地震が発生すると根本に亀裂が入り、その後の余震で倒壊したようです。 幸いな事に、鳥居の倒壊による人的被害は無かったようです。
鹿島神宮・大鳥居

手水舎
良く見ると、屋根が社殿と似てますね..。
コロナ過は手水舎から柄杓が消えましたが、今は昔と言った所でしょうか?
鹿島神宮・手水舎

楼門
残念ながら、訪問当日は修繕工事中で建物を見る事は出来ませんでした。
楼門の修繕工事は 2026年の上旬に終了する予定です。
この楼門は 1634年に水戸藩初代藩主徳川頼房が奉納した建物です。
頼房は家康の11男で、水戸徳川家の祖となる人物です。 頼房が三代将軍家光の病気平癒を祈願し、家光の病気が快方した時にこの楼門を奉納しました。
鹿島神宮・楼門

高房社
拝殿の向にある摂社で、御祭神は建葉槌神です。
建葉槌神は鹿島大神に従い、天香香背男を従わせた神様です。
なお、武甕槌大神を鹿島神宮が祀る事から、鹿島大神は武甕槌大神の別名とされています。
社殿を参拝する前にここを詣でるのが慣例のようです。
鹿島神宮・高房社

社殿
鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神です。
この社殿は 1619年に 2代将軍徳川秀忠が寄進した建物です。
社殿は本殿、石の間、幣殿、拝殿で構成されており、拝殿の後ろには幣殿が配置され、幣殿と本殿の間にある石敷の渡り廊下の事を石の間と呼んでいます。
2024年上旬に修繕工事を終えたばかりなので綺麗な建物です。
鹿島神宮・拝殿

鹿島神宮・拝殿

鹿島神宮・拝殿

仮殿
本殿を修理する時に一時的に神様を移す社殿です。
現在は摂社7柱、末社14柱、および、所管社1柱の分霊が祀られているようです。
鹿島神宮・仮殿

鹿島神宮・仮殿

奥参道
本殿の参拝が終わったので、奥宮を参拝する事にします。
ちなみに、鹿島神宮に行こうと思ったのは、以前、ホテルに泊まった時に偶然、NHK の「塚原卜伝」の再放送を見たからです。
塚原卜伝は、数多くの真剣勝負や合戦に臨んで、一度も負傷する事が無かったと伝わる伝説的な剣豪です。 卜伝の父、卜部覚賢は、鹿島神宮の神官で鹿島氏の四家老の一人でした。
この奥参道もドラマの撮影に使われた場所の一つです。
鹿島神宮・奥参道

神鹿
朝早かったので、数匹小鹿が外に出ているだけでした。
天照大御神の命令を武甕槌大神に伝えたのが鹿の精霊とされる天迦久神だった事から、鹿は武甕槌大神の使いだと伝わります。
768年、藤原氏が鹿島大神の分霊を奈良にお迎えして創建したのが世界遺産でもある奈良の春日大社です。 ここに来るまで、春日大社創建時に常陸国から迎えた武甕槌大神が、鹿島神宮からだとは気付きませんでした...。
鹿島神宮・神鹿

熱田社
奥参道沿いに鎮座する末社です。
御祭神は素盞鳴命、稲田姫命です。 明治時代以前は七夕社と言われてたようで、農業守護の神様です。
名前から察するに、鹿島神宮は熱田神宮と関係があるのでしょうか?
鹿島神宮・熱田社

奥宮
1605年に徳川家康が関ヶ原合戦の戦勝の御礼に、現在の本殿の場所に本宮として建立した建物です。 1619年、新しい社殿を建立する為、現在の場所に奥宮として移築されました。
鹿島神宮の建物は、江戸時代の物が多いですね..。
ここも、ドラマの撮影で使われていた場所のようです。 でも、早朝のこの時間でも参拝者がいる中、時代劇の撮影は大変ですね...。
鹿島神宮・奥宮

鹿島神宮・奥宮

鹿島神宮・奥宮

奥宮の裏側から要石の方に行く事が出来ます。
早朝の参拝は比較的人が少ないので静かで気分が良いです。
鹿島神宮・要石へ

要石
奥の鳥居の先が要石なのですが、何が要石なのか良く分からなかったですね..。
どうやら、地中深く埋まっている要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えているとの事らしいです。
水戸光圀が大きさを調べようとして 7日 7晩掘ったようですが、怪我人が出たので止めたとの言い伝えもあります。 どうやら、要石とは、地中に埋まっている大きな石のようですね..。
ここから奥宮の方に引き返して御手洗池の方に移動します。
鹿島神宮・要石

御手洗池
1日に 40ℓ の湧き水が出るそうで、それが溜まって出来た池です。
昔はここで身を清めてから参拝したようです。
今でも年始に 200人で大寒禊が行われるようです。
鹿島神宮・御手洗池

鹿島神宮・御手洗池

鹿島神宮・御手洗池

大國社
御手洗池の側に鎮座している社です。 ここに鎮座したのは明治時代以降のようです。
御祭神は大國主命です。
また、大黒天は大自在天の化身で、大國主命と神仏習合した神様なので、ここを「大黒社」と説明している場合もあります。 そう言えば、「大國」と「大黒」は同じ読み方が出来ますね..。
鹿島神宮・大國社

テレビのドラマを見て、急に行きたくなった場所ですが、なかなか良い場所でした。