甲府城跡2013年07月15日

舞鶴城、府中城、一条小山城など、多くの別名がある様です。 現在は舞鶴城公園として管理されています。
甲斐一条氏が平安時代後期に居館を建てたのが始まりと言われています。
武田氏滅亡後この地域は徳川家康、豊臣秀吉と支配が渡り、1600年頃に浅野氏によって築城が完成しました。

内松陰門
明治初期まで残っていた物を発掘調査や当時の資料により、平成11年に復元した物です。
甲府城・内松陰門

天守周辺の石垣
石垣は野面積みとの事ですが、他の城の野面積みと比べると少し加工されている様に見えます。
甲府城・天守周辺の石垣

甲府城・天守周辺の石垣

謝恩碑
甲府城とは関係ありませんが、公園内には目立つ記念碑があります。
この碑は、明治44年に明治天皇が甲府内の入会御料地を山梨県に御下賜された事を記念し、大正11年に建てられました。
甲府城・謝恩碑

天守台
天守の存在に関しては否定的な意見もある様です。 実際、天守の存在が確認できる古文書や絵図は見つかっていないそうです。 明治に廃城されるまで残った城なので、もう少し情報は残ってないのでしょうか...。
甲府城・天守台

甲府城・天守台

稲荷櫓
現在の櫓は平成16年に当時の絵図や資料から復元した物で、資料館にもなっています。
櫓自体は明治初期までは残っていた様です。 江戸時代には武具の保管庫として使用されていました。
甲府城・稲荷櫓

甲府城・稲荷櫓

石垣の積みなおし跡
石垣の解体調査中に見つかったと言う、積み直しの跡。 石垣が二重に積まれています。
甲府城・二重の石垣

稲荷曲輪門
甲府城は1727年に享保の大火と呼ばれる大火事がありました。
この門はその際も消失を逃れ、明治初期まで存在していました。 その後の発掘調査で柱の跡が見つかり、平成11年に復元しました。
甲府城・稲荷曲輪門

本丸櫓跡
本丸櫓も明治初期までは存在していたそうです。 今は石垣のみが残されています。
甲府城・本丸櫓

数寄屋櫓跡
城内のもっとも東に建てられた櫓です。こちらの櫓も明治初期まで存在していたそうです。 こうしてみると、甲府城は比較的最近まで原型を留めていたようです。
甲府城・数寄屋櫓

鉄門
本丸の南側にある鉄門です。 江戸初期に建てられ、明治初期に取り壊されました。 現在は再建され、内部を見学する事もできます。
甲府城・鉄門

甲府城・鉄門

水溜跡
発掘調査によって発見された水溜跡です。
甲府城・水溜跡

周辺の堀
周辺の水堀と石垣になります。 少々小ぶりに感じますが甲府城の堀や石垣は綺麗に整備されています。
甲府城・堀

甲府城・堀

明治初期までは当時の面影を色濃く残していた事を考えると、その後の開発により、かなりの部分が失われた事が残念です。