福島県 慧日寺跡 ― 2016年05月05日
福島県耶麻郡磐梯町にある寺院跡で、明治の廃仏毀釈で廃寺になりましがが、現在は当時の遺構が発掘され、中門、金堂が復元されています。
慧日寺は 807 年に徳一によって創建されたと伝えられています。 徳一は周辺に常勝寺、円蔵寺なども建立し、「真言宗未決文」により空海と大論争した人物でもあります。
中門
中門が復元されたのは金堂復元の翌年 2009 年。
礎石の間隔や当時の絵画、同じ年代の建物などの情報などから推測して復元するのだと思いますが、大変な作業だと思います。
金堂
2008 年に復元されました。
屋根は寄棟造に復元しました。 また、瓦が発掘されなかった事から板葺に復元しました。 金堂には中央に薬師如来像、左右に日光、月光菩薩像が安置されていたそうです。 度重なる火災により本尊も何度も焼失しましたがその都度復興していたようです。 江戸時代に復興した三尊も明治の火災で焼失しました。
講堂跡
発掘調査により、創建当時の規模は 16.8 ×10.2 m だったようです。
また、講堂が取り壊された後はこの位置に三間堂が建てられた事も判ったそうです。
食堂跡
講堂跡の北側に位置しており、創建当初の食堂跡と推定されています。
建物の規模は 12.6m ×6.3 m です。

仏堂跡
仏堂は中心から東側の位置にあり、「恵日寺絵図」では「中道」と記されています。 建物が 12.3m ×9.6m と正方形に近く、寄棟造りの建物だったと考えられています。
徳一廟
内部には、慧日寺を開いた徳一のお墓と伝えられる石塔があります。
石塔は平安時代に建てられた物ですが、覆堂は石塔の解体修理後に保護用に建てられました。
薬師堂
1626 年の火災で金堂が焼失すると12年後その跡地に薬師堂が建てられました。 廃仏毀釈の時には薬師堂は磐梯神社として使用されました。
明治5年の火災で焼失後、明治22年に再建されたのが現在の薬師堂です。
仁王門
仁王門はたびたび移築されており、当初の場所は解っていないそうです。
現在の建物は江戸時代後期に建てられたもので、左右の仁王像は江戸時代中期の作です。
不動院龍宝寺不動堂
慧日寺と関わりがあるのか解りませんが近くにあった修験不動尊です。
会津地方の修験道の始まりは慧日寺よりも古いそうです。
この後、併設されている磐梯山慧日寺資料館を見てから帰りました。
ここに着いた時間が少し遅かったせいか、人も少なく、駐車場には自分のバイクだけが止まってました。
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