神奈川県 長勝寺2024年03月17日

日蓮は松葉ケ谷の法難の後、現在の千葉県の方に避難していました。 1261年、鎌倉に戻った日蓮は幕府に拘束されて伊豆に流罪となります。
1263年、伊豆への流罪が放免になった日蓮は鎌倉に戻り、石井長勝の邸内に小庵を結んだのが長勝寺の始まりと伝わります。 この時に建立された法華堂が後に本圀寺になって京都に移った話しは、先ほど訪問した妙法寺と同じです。 1345年に本圀寺が京都に移った後、寺号が現在の石井山長勝寺に変わります。
どうやら、妙法寺、長勝寺、安国論寺は、日蓮が鎌倉に来て最初に庵を結んだと伝わる寺院らしく、同じような逸話があります。 この3つの寺院は非常に近い場所にある事から、もしかしたら、本圀寺だった頃は一つの大きな寺院だったのかも知れませんね...。

山門
江戸時代末期に建立された門のようです。
一見、シンプルな門にみえますが、良く見ると楼門のような凝った木組が使われていたり、凝った彫刻も見られる立派な山門です。
長勝寺・山門

六体のお地蔵様がお出迎えです。
長勝寺は駐車場も整備されており、本日訪問したお寺の中では参拝者がかなり多いです。
私のような通りすがりの人は、檀家さんの邪魔にならないように参拝しましょう...。
長勝寺

法華堂
多分、長勝寺の中で一番古い建物だと思います。
室町時代末期に建立された建物で、県指定重要文化財です。
解体修理した時の調査で、1693年に大きな改修が行われた事が判明しています。
鎌倉時代頃から五間堂と呼ばれる様式の仏堂が普及し始め、神奈川県内では唯一の、中世五間堂様式の建物のようです。
長勝寺・法華堂

長勝寺・法華堂

本師堂
八角形の御堂で、タイ国渡来の金色釈迦尊像が祀られています。
「昭和60年(1985年)6月24日訪日開眼式 タイ国立ワサケ寺 大僧正スリウイスメスイ」の説明書があったので、仏像はその頃に日本に来た物でしょう...。
建物もそれほど古い感じはしません。 仏像の渡来に合わせて建てられた感じでしょうか?
長勝寺・本師堂

鐘楼
特に情報が見当たらず、何時頃の物なのかは不明。
情報が見当たらないと言う事は、それほど古い物では無いと言う事かも知れませんが...。
長勝寺・鐘楼

水場
百日間「粥」と「梅干」だけの食事で「水行」を行い続ける荒行があり、その修行僧が2月11日に長勝寺で最後の水行を行います。
今は空っぽですが、水行の時はここに水が入っており、この水場を囲んだ修行僧が水を被り続けるようです。 お坊さんも大変ですね..。
長勝寺・水場

六角堂
ここには日蓮聖人の遺歯が祀られているようです。
こういうのは、遺体から抜くのでしょうか...。
訪問時は扉が開いていたのですが、閉じられてる写真も多いです。
中が見れたのは、意外とラッキーだったのかも知れませんね...。
長勝寺・六角堂

本堂
本堂には帝釈天が祀られているそうです。
日蓮聖人は松葉ヶ谷法難の時、白猿に導かれた事により難を逃れたとの逸話があり、白猿は帝釈天の使いとの事です。
ここの本堂は、本当にカッコ良いです。 本堂を守るように四天王像が配置され、その中心に日蓮聖人像が配置されています。
長勝寺・本堂

長勝寺・本堂