神奈川県 観音崎砲台跡(1) ― 2025年06月07日
1880年(明治 13年)、東京の防御力を高める為、観音崎砲台の建設を着工します。
観音崎砲台は富津岬と観音崎の間に築かれた東京湾要塞の一部で、東京湾要塞の中では一番最初に築かれました。 東京湾要塞には、人工島に築かれた第一~三海堡、猿島砲台、千代ヶ崎砲台、大房岬砲台、富津元洲堡塁砲台などがあります。
観音崎砲台の多くは大正時代には退役しており、一部が太平洋戦争まで使われていたようです。 ただ、その頃には航空機による攻撃が中心になっており、船舶を想定していた旧式の砲台はそれほど重要では無かったのかも知れません。
観音崎バイク駐輪場
観音崎公園の第2駐車場脇にある駐輪場です。
バイクが停められる駐輪場があるのは良いのですが、停められる台数が少し少ない気がします。 車用の駐車場は周辺に沢山あるのですが、バイクが停められるのかは不明です。
まずは三軒家砲台跡の方を見学する事にします。
観音崎バイク駐輪場から三軒家砲台側に行くのは少し面倒でした。
行き方が分からず、新鴨居隧道の脇から上に登る遊歩道を見つけたのは良かったのですが、ほとんど人が通らないようで蜘蛛の巣が酷かったです...。
あと、行く途中に腰越堡塁跡があったようですが完全に見逃しました。
公衆トイレ付近に「三軒家園地」の案内板があります。 分かりにくいのですが、この案内板の奥の方に見張所だった場所があります。
三軒家砲台 見張所跡
周辺が盛土されていて外からは見えない場所にあります。
円形の土台のような物が残されていますが、どんな設備だったのか想像が付きません。
見張所と言われてますが、周辺よりも低い場所なので、見張り台のような物でも建っていたのでしょうか?
ここから砲台の方に通じる通路があったようですが、周りに雑草が多かったので、まったく分かりませんでした。 もしかしたら冬に見学した方が良いのかも知れません。
三軒家砲台跡
三軒家砲台は 1894年(明治27年)に着工し、1896年(明治29年)に完成した砲台です。
27cm 加農砲が 4門、12cm 加農砲が 2門設置されました。
1934年(昭和 9年)には廃止されていたようなので、太平洋戦争前には砲台としての機能を終えていたようです。
三軒家砲台 第一砲座
ここ、第一砲座には 27cm 加農砲が設置されており、三軒家砲台には第一~第四までの 4門の 27cm 加農砲が設置されました。 壁面のまだら模様は当時の迷彩塗装のようです。
周辺が石材のブロックで囲まれており、少し低い感じになっています。
設置されていたのが加農砲なので、割と平射に近かったのかと思います。
千代ヶ崎砲台の榴弾砲座と比べると浅く掘られた感じがするのはそのせいでしょうか?
第一砲座と第二砲座の間にある地下掩蔽部の入り口です。
立ち入り禁止だったので下に降りる事は出来ませんでした。
弾薬庫だったのかも知れませんが、この階段でどうやって 200kg はあったと思われる砲弾を運んだのでしょうか?
三軒家砲台 第ニ砲座
周辺の窪みは砲弾の保管庫だと思います。
柱部分に扉を取り付けていたような跡があります。
第ニ砲座と第三砲座の間にある地下掩蔽部です。
どうやら入り口はモルタルのような物で塞がれているようで、中には入れなさそうですね..。
遊歩道から見張所跡側を見ると、切通しのような場所がありました。
観測所との通路でしょうか?
こちらも立ち入り禁止になっていたので入りませんでしたが少し気になります。
三軒家砲台 第三砲座
こちらも周辺の迷彩模様が良く残ってます。
多分、この煉瓦塀の上を奥に進むと第四砲座や観測所がああると思うのですが、カラーコーンが置かれていたので先に進むのを止めときました。
それ以前に、雑草が伸び放題で奥に進める雰囲気では無かったですが...。
三軒家砲台 観測所の付属室
扉が閉じられているので内部を見学する事は出来ません。
煉瓦積みが凄く美しいです。 特に、アーチ状の部分が素晴らしいです。
入り口付近と、それ以外で煉瓦の色が違いますね..。 色が違うのは耐火煉瓦でしょうか?
この後、12cm 加農砲の台座跡を捜したのですが、場所が分かりませんでした..。
雑草で隠れていたのかも知れませんが、見学用にあまり整備されて無いのかも知れません。
この後、駐車場に戻り、観音崎灯台側を見学します。
旧第二火薬庫(観音崎公園パークセンター)
この建物は、1898年(明治 31年)に観音崎砲台の弾薬庫として建てられました。
1982年からは観音崎青少年の村の集会室として使用されてましたが、その頃は煉瓦壁面にモルタルを塗って白壁にしていたようです。
2016年、公園管理事務所としてリニューアルし、その時にモルタルを剝がして元の煉瓦壁に戻して耐震補強を行ったようです。
年代的に少し新しいので、煉瓦の積み方はイギリス積のようです。
煉瓦の表面が少しデコボコしているのは、劣化と言うよりモルタルを剝がした時の跡なのかも知れません。
床下部分がアーチ状になっているのは、弾薬を保管に大敵な湿気を避ける為、通気性を高める工夫のようです。
近くに行けませんでしたが、観音崎公園パークセンターの裏側にも似た様な古い煉瓦造りの建物がありました。
こちらは旧第二火薬庫の 2棟目のようで火具庫として使われていたようです。
床下の通気口がアーチ状では無く四角いので、当時からなのか、再利用時に変更したのか良く分かりません。 こちらの建物についても、もう少し情報が欲しいですね..。
旧第一火薬庫
観音崎公園パークセンターから、観音崎隧道の方に進むと少しだけ見えます。
建物は比較的綺麗に残っているようですが、多分、建物の近くには入れないように思えます。
当時、火薬庫は全部で 5つあったようです。
この後、北門側の砲台を見学したいと思います。



















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