群馬県 碓氷関所、五料茶屋 ― 2025年03月22日
碓氷関所
碓氷関所は、旧中山道の松井田宿と坂本宿の間にあった重要な関所でした。
醍醐天皇が 899年に碓氷坂に関所を設けたのが始まりのようで、1623年に江戸幕府によって現在の場所に関所が移されました。
関所破りは重罪で、碓氷関所でも磔や遠島になった記録が残っているようです。
関所は明治時代の 1869年に廃止され、建物などは取り壊されました。
その後、1959年に当時の東門の部材を使って、番所があった場所に東門が復元されました。
東門跡
碓氷関所の駐車場が分からなかったので、横川駅の駐車場から歩いて碓氷関所跡に向かいました。 この細い道が旧中山道で、ちょうどこの辺りに関所の東門があったようです。
ここから現在の碓氷関所跡の少し先辺りまでが碓氷関所だったようです。
道路の左側に同心長屋、右側に番頭屋敷、平番長屋、番所などが並んでいたようです。
旧中山道を少し進むと右側の階段の上に門が見えます。
そこが復元された東門です。
この辺りは元々、番所があった場所になります。
関所の役人は、番頭が 2人、平番が 3人、同心が 5人、門番が 4人、改女が 2人、中間が 4人でした。 当然、交代で勤務しているはずなので、思ったよりも人が少ない印象です。
復元された東門
当時の部材を利用して復元されています。 現存する関所の建物は非常に少なく、静岡の新居関所だけと言われてます。 移築現存門も数が限られており、この門も結構、貴重な物だと思います。 多分、関所が廃された時に建物は全て取り壊されたと思われるので、移築して再利用されていたのであればまだしも、よく部材が残っていたなと言うのが率直な印象です。
五料茶屋本陣
五料茶屋本陣は、参勤交代で中山道を通行する大名が休憩場所として使用した建物です。
ただ、宿場町にあるような本陣とは違い、宿泊所としては使用されなかったようで、関所を通過する時の時間待ちなどに利用されていたようです。
五料茶屋本陣は 2軒並んでおり、どちらも中島姓だった事から「お東」「お西」と呼ばれていたようです。
五料茶屋本陣・お西
「お西」の中島家は 16世紀末から代々名主を勤め、1836 ~ 1872年の間は「お東」と 1年交代で名主を勤めました。
「お西」と「お東」は両家とも 1806年の火災で焼失し、現在の建物は共に同年中に再建された物です。 なお、明治天皇が 1886年に北陸東海御巡幸の時、「お西」は休憩所として使用されました。 1973年に中島公男氏から寄贈され、1806年の再建当時の状態に保存修理工事を行い、1984年から公開されています。
人も少なく、お茶を飲みながらゆっくりと庭を眺める事が出来ました。
五料茶屋本陣・お東
「お東」と「お西」は 1年交代で名主を勤めていました。 なので、年代も大きもほぼ同じです。
1992年に中島徳造氏から寄贈され、 1806年の再建当時の状態に保存修理工事されました。
屋根は板葺だったようですが、防火対策として板葺風の瓦に変更されています。
2~3月に雛人形が飾られるようで、訪問時はちょうど展示期間が終わった後だったので片付けをしている最中でした。 なので、残念ながら人形自体は収納済です。
思ったよりも人が少なかったのは、雛人形の展示期間が終わった後だったからかも知れませんね..。 1周間前だったら、もっと人が多かったかも知れません...。
しかし、このように建物と人形をセットで飾る雛人形は初めて見ました。 これって、昔は一般的だったのでしょうか?
専用の駐車場がありますが、狭い踏切を渡るので混雑していると少し怖いかも...。

















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