弘前城2013年09月05日

青森県弘前市の弘前城は、数少ない現存天守が存在する城の一つで、日本 100 名城の一つでもあります。 鷹岡城と呼ばれる場合もあります。
大浦為信によって、江戸時代に入った 1611 年に築城された城なので、100 名城の中では比較的新しい城の部類に入ります。

北門
元々は、大光寺城の城門だった物を、弘前城の築城時に移築した物です。
弘前城は実戦では使われていませんが、改修工事の時に柱などから矢による傷跡などが見つかっています。
弘前城・北門

二の丸丑寅櫓
明確な建立年は不明だそうですが、江戸時代初期の頃とされています。
「丑寅」とは、方角を十二支で示した物で、北東に当たります。
弘前城・二の丸丑寅櫓

天守
数少ない現存天守へ先に向かいます。
遠くに少し見えるのが天守と、下乗橋。 緊急時には壊して敵の侵入を防いだ橋なので、当時はもっと質素だったかも知れません。 石垣も立派です。
弘前城・下乗橋

天守は思ったよりもコンパクトで、櫓と勘違いしそうです。 が、それもそのはずで、最初の天守は 1627 年に落雷で焼失しており、現在の天守は 1810 年に本丸辰巳櫓を解体新造したものです。
弘前城・天守

弘前城の天守は、入り口側からよりも、堀側から見た方が美しいです。
内部には関連資料が展示されています。
弘前城・天守

弘前城・天守内部

与力番所
与力番所は、見張り番の詰め所で、弘前城では現存する唯一の建物です。
こちらも、築年代ははっきりしないようですが、古材を利用し、江戸中期に一度改修したのではと推測されています。
弘前城・与力番所

東内門
現存する5つの門の一つで、与力番所の側にあります。 江戸時代初期の建築物と伝えられています。
弘前城・東内門

そう言えば北門の案内では、北門は古い建物を移築した為、鉄砲狭間、矢狭間が無いと書かれていました。 よく見ると、こちらの門は鉄砲狭間らしき物がありますね。
弘前城・東内門

辰巳櫓
弘前城に現存する3つの櫓の2つ目です。 辰巳は南東の方角になります。
どうも、櫓は内側から見るとのっぺりしていて見た目が殺風景です。 堀側から撮ったと思われるパンフの写真と比べると、大分、印象が異なります。
弘前城・辰巳櫓

未申櫓
現存する3つの櫓の最後です。 未申は南西の方角になります。
案内では、「三つの櫓は窓の形など細部の造作に違いが見られる。」とありますが、素人には良く解りません...。
弘前城・未申櫓

南内門
弘前城に現存する5つの門の3つ目です。 見た感じは東内門とほとんど同じです。
弘前城・南内門

弘前城・南内門

追手門
弘前城に現存する5つの門の4つ目です。 
羽州街道が参勤交代の経路になってからは、事実上の大手門的な役割になりました。 こちらも、他の門と大体同じ構造に見えます。
弘前城・追手門

弘前城・追手門

後で気が着きました。 現存する5つの門の内、東門だけ行くのを忘れました...。 弘前城は、現存する建物が多く残されており、なかなか見所の多い城でした。 こんどは桜か、雪の季節に来て見たいです。
トンボ

しかし、バイクを止める場所を探すのには苦労しました...。

※2014 年より、本丸の石垣の修繕工事が行われているようです。
 なんと天守の位置を移動するらしく、工事は10年近くかかるそうです。


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