東京都 昭和天皇武蔵野陵2025年09月21日

武蔵野御陵は東京都八王子市にある昭和天皇の陵墓です。 昭和天皇の御陵が造営されるまでは多摩御陵と呼ばれてました。 現在でも多摩御陵と呼ぶ人は多いです。
1926年(大正 15年)に大正天皇が崩御すると、翌年に大正天皇多摩陵が造営されました。
なお、1945年(昭和 20年)の八王子空襲の時には多摩陵も被弾して被害が出たようです。
1951年(昭和 26年)に貞明皇后が崩御すると、翌年に貞明皇后多摩東陵が大正天皇多摩陵の隣に造営されます。
1989年(昭和 64年)昭和天皇が崩御すると、翌年に昭和天皇武蔵野陵が造営され、香淳皇后が 2000年(平成 12年)に崩御すると、翌年、昭和天皇武蔵野陵の隣に香淳皇后武蔵野東陵が造営されます。

多摩御陵前駅があったと思われる場所(多分..)
1931年 ~ 1945年までの間、参拝者用に多摩御陵前駅~北野駅間を京王電気軌道(現在の京王電鉄)の御陵線が営業していました。 御陵線は戦局の悪化により廃止され、駅舎も八王子空襲で焼失しましており、多摩御陵前駅の痕跡は何も残ってません。
場所的に、恐らく、都道 187号のこの辺りに多摩御陵前駅があったのだと思います。
多摩御陵前駅があった付近

駐車場
参拝者用に大きな駐車場があります。
何度か来た事がありますが、ここが満車になった所は見た事が無いです。
今回は、この後、「多摩森林科学園 森の科学館」にも行く予定です。 森の科学館には駐車場が無さそうだったので、高尾駅から徒歩で武蔵野御陵を参拝する事にしました。
武蔵野御陵・駐車場

この先が陵墓で車両進入禁止です。
真っすぐ伸びてるのが表参道です。
この写真では分かりにくいですが、右側に北参道があります。 どちらからでも参拝可能です。
表参道は玉砂利で少し歩き難いですが、北参道は舗装されています。
武蔵野御陵

手水
表参道を進むと手水がありました。
天皇陵は神社に近い様式みたいですが、手水は思ったよりもシンプルです。
武蔵野御陵・手水

表参道を進み、先に多摩御陵、その後に武蔵野御陵を参拝します。
陵墓の敷地は非常に広く、また、参拝者も少ないので静かです。
武蔵野御陵・表参道

大正天皇多摩陵
鳥居の奥に見える、鳥取城の天球丸のようなドーム状の石積が陵墓のようです。
陵墓から少し離れているので気が付かなかったのですが、上円下方墳のようで、四角い台座(下方部)の上に半円状の石積が乗っている(上円部)形状の陵墓です。
上円下方墳は古墳時代末期に造られましたが数例程度しか見つかってません。
上円部の直径は 15m、下方部の一辺は 27m です。
大正天皇多摩陵

貞明皇后多摩東陵
こちらも上円下方墳です。
大正天皇多摩陵の上円部が高さ 10.61m だったのに対し、こちらは 6.25m なので、大正天皇多摩陵よりも小さ目に造られています。
陵墓の形状は、こちらの方が良く見えます。
貞明皇后多摩東陵

貞明皇后多摩東陵

昭和天皇武蔵野陵
こちらも上円下方墳です。
高さ 8.75mなので、大正天皇多摩陵よりも小さいようです。
敗戦後の日本国憲法では天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」になっており、昔ほど大きな陵墓を作る必要性が無くたったのかも知れません。
昭和天皇武蔵野陵

昭和天皇武蔵野陵

香淳皇后陵
武蔵野御陵にある 4つの陵墓の内、一番新しい陵墓です。
香淳皇后が 2000年に崩御した時に造営され、翌年に完成しました。 こちらも上円下方墳です。
高さ 6.25m なので、貞明皇后多摩東陵とほぼ同じ大きさです。
香淳皇后陵

香淳皇后陵

昔は参拝者用の駅が出来るほど人が多かったようですが今は静かな場所です。
この後、多摩森林科学園にも行きましたが、時期的に良く無かったようです。 春か、紅葉の時期に合わせた方が良さそうなので、別の時期に再訪したいと思います。