浜離宮恩賜庭園 ― 2012年12月24日
元々は徳川将軍家の鷹狩り場であり、4代将軍家綱の弟である松平綱重が始めて屋敷を建てました。
家宣が六代将軍になったときに将軍家の物となり、名称も「浜御殿」になりました。 現在の姿になったのは11代将軍家斉の時と言われてます。
この庭園は、東京湾から海水を取り入れた回遊式築山泉水庭です。
三百年の松
1709年、六代将軍徳川家宣が改修し、名称が「浜御殿」になった時に植えられた松です。
小覗(このぞき)
江戸時代には、鷹を使用した鴨猟が盛んに行われました。 池には飼いならされたアヒルがおり、小覗から鴨が飛来したのを確認すると、板を打ち鳴らします。 アヒルは餌がもらえると思い、引堀にやってきます。 その時、鴨もつられてやってきます。 あとは鷹匠の合図により鷹を放ちます。
小覗を横から見た所。 左側が引堀で池に繋がっています。
鴨塚の碑
鴨猟により捕獲された鴨たちを供養する為に立てられた碑です。 昭和10年に宮内省の鷹匠が建てたものです。
今は鴨猟はおこなわれていないようなので、鴨たちものんびりしてます。
浜離宮・旧稲生神社
建立時期は不明ですが、かなり古くから庭園内に存在したようです。
現在の建物は明治27年の地震で倒壊した後に再建された物です。
松の御茶屋
11代将軍家斉が建てたそうですが、戦災で焼失しました。
2010年12月に可能な限り当時の技法に忠実に再建されました。 普段は中に入る事は出来ません。
中島の御茶屋
こちらの御茶屋は現在も茶屋として営業しており、利用する事が可能です。 6代将軍家宣が建てたのが始まりですが、現在の建物は昭和58年に再建されたものです。
園内は広く、見所の多い庭園です。 高層ビルが少し気になりますが..。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2012/12/24/7261431/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。