埼玉県 吉見百穴 ― 2022年10月23日
埼玉県比企郡吉見町の吉見百穴は古墳時代(6世紀末~7世紀後半)に造らた横穴墓です。
横穴は緑泥石片岩を板状に加工した物で塞がれていましたが、いくつかの横穴が江戸時代中期には開いており、既に「百穴」と呼ばれてました。
大森貝塚を発掘した事で有名なエドワード・シルベスター・モースも2回、吉見百穴を訪れています。
1887年に坪井正五郎らによって大規模な発掘調査が行われ、237基の横穴が見つかっています。
今でも 219基が残っており見学する事が出来ます。
吉見百穴駐車場
今回から相棒が GSX-R750 から XSR700 に変わっています。
ひと月ほど前、続100名城巡りで山形県に移動中、突然のエンジン不調で旅行をキャンセルすると言う事件が発生しました。 エンジン不調は一時的な物でその後再発しませんでした。 バイク屋にも見てもらいましたが、再現性も無いので原因は不明です。
既に走行距離が9万キロを超えている事もあり、このまま長距離単独ツーリングで使用するにはリスクが高いと判断。 19年ぶりにバイクを買い替える事になりました。
凝灰質砂岩の岩肌に、所狭しと横穴が掘られています。
この光景はかなりインパクトがあります。 一時期、コロボックルの住居とも言われてたようですが、小人の住居にも見えなくはありません。
横穴は深緑色の石で塞がれていたので、発掘前はもう少し印象が違ったのかも知れません。
一見、横穴は無造作に掘られているように思えますが、良く見ると左から右斜め上に向かって並んで掘られています。
地下軍需工場跡
太平洋戦争中、吉見百穴には空襲を避ける為に大規模な地下軍需工場が建造されました。
内部は、幅 190m、奥行 95m に渡って碁盤の目のように採掘されています。
中島飛行機が航空機の部品を生産する目的で建設しますが工事は難航します。 エンジン部品の一部が製造されますが、本格的に稼働する前に終戦を迎えます。
残念ながら、崩落の危険がある事から内部見学は中止されています。
現在は中央部分に階段が設置されているので、誰でも簡単に見学する事が出来ます。
発掘当時は急斜面に足場を確保するのが大変だったと思います。
発掘調査では、須恵器、勾玉、管玉、耳環、鉄鏃、太刀類などが見つかっています。
横穴の玄室には棺座と呼ばれるベッド状の施設が複数作られる場合がありました。 棺座に遺体を納めた木棺が置かれ、周辺には副葬品が置かれました。 埋葬後、入り口を封鎖石で閉じて隙間を粘土で密閉します。
一つの横穴からは複数の遺体が埋葬されている場合があり、追葬も行われていたようです。
追葬する時は封鎖石を外したのでしょうが、その時は仮設の足場でも作ったのでしょうか?
横穴を掘るには数日から数週間はかかったようです。 吉見百穴に埋葬されていたのは地元の有力者のようです。
ほとんどの横穴は、玄室から外に向かって排水の為の傾斜が付けられています。
小高い岡の上なので眺めが良いです。
後で知ったのですが、左側に見える小山は松山城跡です。
吉見町埋蔵文化センター
最後に吉見町埋蔵文化センターを見学します。
ここは、吉見百穴以外にも、この地域周辺の資料や展示物が豊富なので見学する事をお勧めします。 帰りに売店で土産を買って帰りました。 売店に展示されていた昔の写真は、当時の様子が見れて興味深かったです。 店員さんの対応も良かったです。
吉見百穴では天然記念物のヒカリゴケが見れるのですが写真に撮るのは難しいですね...。
はっきりと光っている感じが無かったのですが、見学するには湿度が高い時期の方が良いみたいです。 乾燥している時期の訪問だったので、タイミングも悪かったのかも知れません。
軍需工場が見学できるようになったら再訪したいです。
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