埼玉県 小倉城跡2022年11月27日

埼玉県比企郡の小倉城は、続100名城の菅谷館跡杉山城跡や、先月訪問した松山城跡と同じ比企城館跡群の一つです。 菅谷館跡は、本当に近いです。
戦国時代の文献資料は見つかっておらず、正確な築城年代や城主は不明です。 江戸時代の文献に、北条氏の重臣だった遠山氏、もしくは上田氏との記載があるようで、天文~永禄年間(1532 ~ 1570年)頃に最盛期を迎え、天正年間(1573年 ~ 1592年)後半に廃城になったと考えられています。

小倉城の存在は、吉見百穴に訪問した時に偶然知りました。 立派なパンフレットが吉見町埋蔵文化センターに置かれていたので、散策に役立ちました。 バイクは谷川橋近くの観光駐車場が満車だったので、大福寺近くの小倉城跡駐車場に停めました。 しかし、小倉城跡駐車場も満車に近い状態だったので、休日の散策には注意が必要かも知れません。
小倉城・駐車場

大福寺の裏から小倉城の郭1に直接登るルートがあるようですが、谷川橋近くにある登山道から登る事にします。 大福寺裏から登れる登山道は、戦国時代には無かったと考えられています。
奥に見える屋根が大福寺の本堂。 大福寺の創建年代は不明ですが、小倉城が廃城になった後、居館を寺として建立したと考えられています。
小倉城

日枝神社
この神社付近からも登れるようですが、案内図に記載されている登山道はもう少し先です。
道路から少し奥に入った場所にあるので、ここまで来ない人も多いと思います。
大きな庚申塔が印象的です。 文字だけの庚申塔は年代が比較的新しい物が多いのだとか..。
江戸時代に流行った道教を由来とする民間信仰で、沖縄以外の日本各地で見かけます。
小倉城・日枝神社

北側の緩やかな尾根から登ります。
かなり登りやすい尾根ですが、堀切や切岸のような痕跡は見当たりません。
蛇行した槻川に囲まれている場所なので、城としての立地条件は良さそうですが、この緩やかな尾根に何の工夫も無いのが少々気になります。
小倉城・登山道

北郭群付近
北側の尾根をしばらく登った先にあるのが北郭群です。
小さな郭跡や土塁のような物が見れますが、全体像がはっきりしません。
攻めやすい尾根にある防御施設としては、ちょっと貧弱に感じます。
もっと麓の方から階段状に郭が連なっても良さそうに思えます。 川を越えてここから登って来る事をあまり想定していない?
小倉城・北郭群付近

小倉城・北郭群付近

枡形虎口
北側の尾根を真っすぐ伸びていた登山道が直角に折れ曲がるとその先は桝形虎口でした。
岩盤を採掘して造られた内桝形のようで、両袖には石積もあったようです。
発掘調査が行われていないので、虎口内側に2ノ門があったのかは不明なようです。
小倉城・枡形虎口

小倉城・枡形虎口

桝形虎口を引き返し、郭1外側の下段を散策します。
郭1東側の下段はこんな感じに少し開けた感じになっており、この場所も当時は郭として使用されていたと思います。 また、この辺りの郭は石垣造りのようです。
ここの石垣は平たい石を積み上げており、他の城郭で見られるような石垣とは少し違う印象を受けます。 ここの石垣を見るには、大福寺の方から登ってくると良いのかも知れません。
小倉城・郭1の下段

小倉城・郭1下段の石垣

更に進むと郭3の石垣が見えます。
最大高 5m、総延長 120m あるようですが、足場が悪くて全ては見れません。
虎ロープで通行止めになてました。 恐らく、石垣が一番良く見えるのはこの先だと思います。
残念ですが、ここで引き返す事にします。
小倉城・郭3石垣

郭1と郭3を分断する切通しです。
岩盤を幅 5m、高さ 3m でくり抜いてあります。
堀切とは違い、岩場をこれほど削るのは大変だったと思います。
上に橋が架かってますが、当時もこんな感じの曳橋があったのかも知れません。
小倉城・郭3切通

郭3に登ってみました。
郭1と比較すると3分の1程度の広さですが、この郭はほぼ石垣造りになっています。
周辺から下を見ると、下段の郭が見えますが降りるルートが見当たりません。
多分、あそこに行ければ石垣が良く見えそうですが、危ない事は止めておきます...。
小倉城・郭3

小倉城・郭3の下段

郭1
小倉城で最大と思われる郭です。 ここからは、白磁など生活品も出土しています。
ここが小倉城の中心的な場所で、発掘調査により3棟の建物跡と、遮蔽施設跡が見つかっています。 発掘調査が進めばもっと多くの建物跡が見つかる可能性があります。
小倉城・郭1

周辺の土塁も保存状態が良さそうです。
ただの土塁のように見えますが、土塁の内側には雛壇状の石積みが見つかっています。
遺構は保存の為に埋め戻されています。 小倉城は、石積が多い事が特徴と一つと言えるかも知れません。 出土品などから、16世紀中頃~後半に築かれた石積と考えられています。
小倉城・郭1土塁

郭1の西側にある虎口です。
ここから郭2に向かいます。
小倉城・郭1虎口

郭2
郭1から郭2を見下ろした所。 郭2は細長い形をしています。
郭1と郭2は大きな堀切で分断されています。
奥に伸びる郭の内、右側の一段高い場所が郭2で、低い方が腰曲輪だと思います。
小倉城・郭2

小倉城・郭2

郭2周辺の土塁も保存状態が良さそうです。
小倉城・郭2土塁

見晴らしが凄く良いです。
小倉城はハイキングコースの一部なようで、ハイキングに来ている人が多いです。
服装や装備を見た感じだと、城跡を見に来ているというより、周辺の山と合わせてハイキングに来ている感じに思えます。 天候も良く、山も紅葉で色が変わってますね...。
小倉城・郭2からの眺め

大堀切
郭2の腰曲輪を進むと、郭2と郭4を分断する大堀切が見えてきます。
この大堀切には曳橋があったようです。 堀切は山裾の方へも続いている大規模な物です。
旗が見えている場所が先ほど風景を眺めていた郭2の先端部分です。 あの旗の部分はここを攻撃する為に意図的に突き出した「横矢がかり」のようです。
小倉城・郭4大堀切

小倉城・郭4大堀切

郭4
小倉城の一番南西側にあるのが郭4です。
広さ的には郭2と同じ位です。
史料がほとんど残っていない謎の多い山城ですが、無名なのが不思議なくらい立派な作りです。
これだけの土木工事を行えば、もう少し史料が残りそうな物ですが...。
小倉城・郭4

郭4虎口
ここを出ると森林管理道小倉線です。
引き返すのも面倒なので、このまま林道を下りて駐車場に戻る事にします。
小倉城・郭4虎口

森林管理道小倉線
ここから大福寺の駐車場までは、大体、20分程度と言った所です。
偶然存在を知った無名に近い山城ですが、なかなか良い山城でした。
森林管理道小倉線