和歌山県 熊野古道・大門坂 ― 2024年08月11日
一度、熊野古道を歩いてみたかったので、今回は熊野那智大社に行く途中にある大門坂付近を少し歩いてみる事にしました。
大門坂は中辺路の一部で、中辺路は和歌山県田辺市から熊野本宮大社、熊野那智大社を通って熊野速玉大社に至る約 84km の古道です。 大門坂から熊野那智大社へのルートは駅からのアクセスも良く、熊野古道でも人気のあるルートです。
今回は大門坂 駐車場にバイクを停めて、そこから県道 46号に出る所までを歩いてみました。
大門坂 駐車場
駐車場に到着したのは 9:00 前でしたが、その時間でも満車に近い状態でした。
かなり大きな駐車場ですが、この時間帯でこれだけ混雑するのであれば、早めに来た方が良さそうです。 もしかしたら、ここに車を止めて大門坂を登って熊野那智大社を参拝し、バスで下りてくる人が多いかも知れません。 その場合、駐車時間が長くなるので、混雑しやすいのかも知れません。
なでしこジャパン記念モニュメント
駐車場を大門坂の方にあるいていたら、なでしこジャパンの記念モニュメントがありました。
日本の現代サッカー生みの親とも言える中村覚之助氏は那智勝浦町の出身でした。
中村覚之助氏は東京高等師範学校在籍中の 1902年にイギリスの文献を参考に「ア式蹴球部」を創設しました。 これが日本のサッカーの始まりのようです。
このモニュメントは、日本女子サッカーチームが 2011年のワールドカップ優勝、2012年のロンドンオリンピック準優勝の功績を称えて建立したものです。
あれから 10年以上も経ったのですね...。

大門坂 入り口
ここが、県道 46号と熊野古道に入る場所です。
ここから熊野那智大社まで、だいたい 1.4km くらいだと思います。
この時は上まで歩こうかと思ったのですが、帰りの事を考えると面倒だったので止めときました...。
ただ、後で調べてみたら、だいたい 40分間隔くらいでバスが運行していたので、帰りはバスで下りて来ればよかったのかも知れません...。
入り口の鳥居
鳥居の手前には「新宮藩の関所跡(十一文関)」の立札がありました。
大門坂の入り口には大門があり、そこで税を徴収していたようです。 多分、この辺りが大門があった場所だったのでしょう。
ただ、もっと先に進んだ所にも「十一文関跡」の立札があるようなので、関所があった場所でどこ何でしょうか...。 でも、門があったのがここだとしたら、ここに関所があっても不思議では無いのですが..。
大門坂茶屋の少し先に夫婦杉があります。
大門坂茶屋では着物レンタルを行っているようで、平安時代の衣装で大門坂を歩く事ができるようです。 訪問時は残念ながら着物姿の人に出会う事は無かったのですが、運が良ければタイムスリップしたような風景に出会えるかも知れません。
夫婦杉
樹齢 800年と言われる大きな杉が左右に並んでいます。
この先、大門坂の両脇に杉並木が続きます。
背丈の高い木が並ぶので、日が入らずに少し薄暗い感じがします。
多富気王子跡
熊野参詣道中辺路にある最後の王子社があった後です。
修験者は道中の守護を祈り、その地の神を祀る為に社を建てました。 その社を「王子」として整備し、熊野古道沿いに「王子」が 100ヶ所以上あるようです。
江戸時代には社殿があったようで、1877年に現在の熊野那智大社の境内に移されました。
「楠大樹」の札が置かれた大木。 樹齢 800年との事。
熊野参詣が始まった頃にはこの古木ですら無かった可能性があります。
それほど古くから人々が歩いていた古道と言う事だと思うと不思議な感じがします。
石畳になっているので歩きやすいです。
県道 46号との接点付近に到着。
この先に進もうか迷ったのですが、この坂を見てやめときました...。
若い頃はこれを見ても迷わず登ったと思いますが歳には勝てないです..。
体力よりも気力がへばっているのでしょう...。 この先の移動の事を考えると萎えてしまいました。
さて、駐車場に戻ってバイクで熊野那智大社に向かいましょう。
今度は、熊野古道を歩く目的で来たいですね..。
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