群馬県 井出二子山古墳 ― 2025年03月21日
保渡田古墳群は、群馬県高崎市保渡田町の三つの大型古墳の事で、井出二子山古墳はその中の一つです。 5世紀後半に、井出二子山古墳、保渡田八幡塚古墳、保渡田薬師塚古墳の順に続けて造られたようです。
井出二子山古墳の周辺には中、小規模の古墳が集中しており、王に仕えていた人たちの墓域と考えられています。
井出二子山古墳は墳丘長 108m の前方後円墳で、外堀まで含めた大きさは 213m もある大規模な物です。
極小石槨慕
井出二子山古墳の西側から 10基ほど見つかっています。
盛土も無く、周りの古墳よりも身分の低い人達の墓と考えられています。
ただ、80cm 程度と小さい為、「子供の墓」との説もあるようですが、結論が出てないと言う事は骨は見つからなかったのかな?
後円墳部分から井出二子山古墳に近付きます。
かなり大きな古墳です。
保渡田八幡塚古墳のように葺石が再現されている訳ではありませんが、樹木が無いので古墳の形状が良くわかります。
外堀
ここが外堀部分で、帯状に伸びる部分が内堤です。
多分、当時の堀はもっと深かったはずです。
深い堀は危ないですし、保存目的で埋め戻したのかも知れません。
元々、この辺りは榛名山の噴火による堆積物の影響もあるようなので、堀はかなり埋もれていたのかも知れません。
奥の方に中島が見えます。
中島
こちらも保渡田八幡塚古墳と同様に、後円部分を囲むように内堀に 4つの中島が配置されています。 中島の直径は 18m あります。
井出二子山古墳は、墳丘の形状か変えずに、周辺の堀部分のみ形を再現したようです。
井出二子山古墳も保渡田八幡塚古墳のように葺石で覆われていたのですが、長い年月により草木に覆われて現在の姿に変わって行ったようです。
ここも保渡田八幡塚古墳と同じ 3段構造のようですが、遠目には 2段に見えます。
この辺りが長い年月による風化の跡なのでしょう。
でも、ここの埋葬者は現代まで、こうして自分の存在を示している訳です。
後円部に登ると石棺があった場所が分かるように展示されていました。
ここの石棺は盗掘を受けたらしく、石棺の蓋も遺品も無くなっていたようです。
これだけの規模の墳墓なので、相当貴重な物が埋葬されていたはずなのですが残念です。
石棺は舟形石棺と呼ばれる物で、長さ 3m、幅 1.2m、高さ 1m でした。 また、石棺の近くから竪穴式石槨が見つかっており、この古墳の持主の近親者が埋葬されていたようです。
当時は、ここに埴輪が並んでいたのでしょう。
発掘調査で敷き詰められた白い葺石が見つかっており、また、発掘時の埴輪列跡も展示されていました。
保渡田古墳群は、古墳の現在の姿と当時の姿が同時に見える良い場所ですね...。
発掘時の埴輪列の再現
崩れた円筒埴輪が修復された痕跡のようです。
円筒埴輪が倒れて割れた後、その割れた破片の上に葺石が並べられていた事から修復した痕跡とみられます。
一定期間は古墳を管理していたようです。
葺石が無いと、かなり雰囲気が違いますね..。
保渡田古墳群の3つの大型古墳の内、2つを見学する事が出来ました。
残念ならがら最後の保渡田薬師塚古墳は、他の古墳ほど保存状態が良くないようです。
この後の予定もあるので、今回は保渡田薬師塚古墳の方はパスする事にしました...。
後で気が付いたのですが、ここは日本 100名城の箕輪城跡の近くだったのですね..。
約 9年前に訪問した時は郭馬出西虎口門がまだ建設中でした。
今回、「かみつけの里博物館」が休館で見学出来なかったので、完成した郭馬出西虎口門の見学と合わせて再訪したいです。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2025/03/21/9781120/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。