長崎県 グラバー園2023年05月04日

安政五カ国条約がアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと結ばれると、1859年に箱館、横浜、長崎が開港されます。 長崎にも外国人居留地が設けられ、その中にグラバー邸、リンガー邸、オルト邸が建てられます。
その外国人居留地跡に周辺の歴史的建造物を移築して公開しているのがグラバー園です。
園内の旧グラバー邸は、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つです。

グラバー園は、けっこう小高い丘の上にあるのですが、料金所から上は動く歩道があるので登るのにそれほど苦労しませんでした。
また、グラバー園の上の方にも料金所があるようなので、上の方から入場すれば坂を下るだけなので足の悪い人にはその方が楽かも知れません。
グラバー園・動く歩道

旧三菱第2ドックハウス
1896年に三菱造船所の第2ドックが建設された時に同時に建てられた外国人乗組員用宿舎です。 この建物は 1970年に第2ドックが埋め立てられるまで使用されます。 建物は、長崎市に寄贈され 1972年に現在の場所に移築されます。
トーマス・グラバーは佐賀藩と高島炭坑の共同経営を開始し、岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社は、高島炭坑の経営を引き継ぎました。
旧三菱第2ドックハウス

旧三菱第2ドックハウス

旧三菱第2ドックハウス

園内で一番高い場所にある建物なので、ベランダからの眺めが素晴らしいです。
旧三菱第2ドックハウス付近

旧ウォーカー邸
ロバート・N・ウォーカーは、1898年に「R.N.ウォーカー商会」を設立し、海運、貿易事業を行います。 また、1904年には清涼飲料水の大量生産を行い、会社を次男のロバート・ウォーカー二世に譲ります。 ロバート二世は、1890年頃に建てられたこの建物を 1915年に購入して住居とします。 建物は、ロバート二世が無くなった後に長崎市に寄贈され、1974年に現在の場所に移築されます。
グラバー園・旧ウォーカー邸

グラバー園・旧ウォーカー邸

明治時代とは思えない、洒落た内装です。
グラバー園・旧ウォーカー邸

グラバー園・旧ウォーカー邸

グラバー園・旧ウォーカー邸

フリーメイソン・ロッジの門
長崎のフリーメイソン・ロッジは、1884年に長崎造船所の外国人技師たちによって発足されます。 英字新聞の編集者だったアーサー・ノーマンは、会社の2階をロッジとして提供し、敷地の入り口にはこの門が建てられました。 門は、1971年に現在の場所に移築されます。
結局、フリーメイソンって何? 
グラバー園・フリーメイソン・ロッジの門

旧リンガー邸
1868年にトーマス・グラバーの弟アレキザンダーがこの住宅を建て、1868年にフレデリック・リンガーが取得します。 フレデリック・リンガーは、グラバー商会に招かれ、製茶の輸出を監督します。 1868年にエドワード・ホームと共に、ホーム・リンガー商会を設立し、グラバー商会の製茶販売を引き継ぎます。 その後、事業は多角化し、ホテル経営、英字新聞など、手広く行っていたようです。
この建物は、1913年から次男のシドニー・リンガーの住居となり、終戦後の 1965年までここで生活していたようです。 住居は移築では無く、この場所にあったようです。
グラバー園・リンガー邸

グラバー園・リンガー邸

グラバー園・リンガー邸

ちなみに、長崎ちゃんぽんの「リンガーハット」はリンガー家と直接関係ありませんが、フレデリック・リンガーの名前を社名にしているようです。
グラバー園・リンガー邸

旧自由亭
こちらの建物は、1878年に草野丈吉が開業した西洋料理店「自由亭」です。
丈吉は出島のオランダ領事で働いた時に西洋料理を学びます。 1863年に自宅で西洋料理店を開業し、長崎奉行が外国人接待に利用するほどの知名度を得ます。
1867年には土佐藩の士分に取り立てられ、外国人向けのホテル経営なども行います。
丈吉が死去した後、「自由亭」は 1887年に廃業。 1974年に洋風建物の部分がグラバー園に移築されます。 グラバー園ではカフェとして営業しています。
グラバー園・旧自由亭

グラバー園・旧自由亭

旧グラバー邸
1863年にトーマス・グラバーが住居として建てた建物です。
1862年に設立したグラバー商会は 1870年に倒産し、住居の権利は弟のアルフレッドに譲渡されます。 アルフレッドが亡くなった後は息子の倉場富三郎に譲渡され、戦時中に三菱重工長崎造船所に売却されます。 戦後は進駐軍に接収されますが、返還後の 1950年に造船所から長崎市に寄贈されます。 思ったよりも、所有者の入れ替わりが激しかったようです。
曲線的な部分が多い、ちょっと変わった形をした建物です。
グラバー園・旧グラバー邸

グラバー園・旧グラバー邸

坂本龍馬はグラバー邸を訪れてますが、どこの部屋で商談をしたのでしょうか...。
グラバー園・旧グラバー邸

グラバー園・旧グラバー邸

グラバー園・旧グラバー邸

後で気が付いたのですが、旧オルト邸や旧スチイル記念学校を完全に見逃してました。
旧リンガー邸の先が行き止まりになっており、そこに旧オルト邸や旧スチイル記念学校があったのですが、人の流れに乗ってそのまま旧自由亭の方に進んでしまいました...。
特に、旧オルト邸はグラバー園の中でも重要な建物だったので残念。