長崎県 大浦天主堂2023年05月04日

大浦天主堂は、日本二十六聖人の為に幕末期の 1864年に建立された教会堂です。
よって、正式な名称は日本二十六聖殉教者聖堂で、日本二十六聖人が処刑された長崎市西坂の方を向いています。
外国人居住地が満杯だった為、居住地外に申請しましたが許可が下りませんでしたが、フランス領事の口添えにより、グラバー邸の隣にl建立する事が出来ました。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素の一つで、現在は「キリシタン博物館」として公開されています。

雨が降っていた事もありますが、長崎市内の観光はバイクでも駐車スペースの確保が困難なので、ホテルから電車で移動して観光する事にしました。
西諫早駅から長崎駅までの所要時間はだいたい30分位で、朝の時間帯はそれなりの本数も出ています。 車両は見た目も新しい感じの YC1系。 蓄電池搭載型ディーゼルエレクトリック車両と言うハイブリッド車両です。
西諫早駅

JR長崎本線・YC1

長崎市内観光のメインは路面電車です。
長崎駅の観光案内所で一日乗車券が購入できます。
だいたい、5 ~ 10分間隔程度で運行しているので非常に便利でした。
長崎駅から路面電車で大浦天主堂に行く場合は、長崎駅前から1系崇福寺行きに乗り、新地中華街で5系石橋行きに乗り換え、大浦天主堂で下車します。
長崎・路面電車

大浦天主堂
手狭となった大浦天主堂は 1879年に約2倍近い大きさに改築されます。
現在の姿は、増築後の姿です。 創建当初は中央の塔のような部分が両側にもありました。
また、長崎への原爆投下は、爆心地から 4km 離れていた大浦天主堂にも損害を出しました。
屋根や正面扉、ステンドグラスなどが損傷し、1952年に修復され国宝の指定を受けます。
大浦天主堂

大浦天主堂

大浦天主堂

大浦天主堂は竣工した翌年の 1865年から一般公開を開始します。 すると、禁教令の中、潜伏キリシタンが名乗り出でる出来事が起こります。
明治時代に入ってもキリスト教は禁止されており、宗教の自由が保障されたのは 1873年になってからです。
大浦天主堂

旧羅典神学校
1873年に禁教令が廃止されると 1875年には神学校が建設されます。
この建物は 1926年まで神学校、および宿舎として使用されました。 また、それ以降は司祭館や集会所として使用されます。
構造は木骨煉瓦造りです。 一見すると、普通の木造建築に見えます。
旧羅典神学校

旧羅典神学校

旧長崎大司教館
大浦天主堂が竣工する前の 1863年に司教館が建てられます。
但し、老朽化により 1915年に建て替えられます。
こちらの建物も木骨煉瓦造りです。
旧長崎大司教館

旧長崎大司教館

旧長崎大司教館

旧長崎大司教館

基本的に大浦天主堂の現在の建物は史料館として利用されています。
展示されている史料も多く、一通りの見学を終えるのに大体1時間くらいかかりました。
次はお隣のグラバー園に行きます。