江戸城跡2014年11月02日

江戸時代の中心地となった江戸城。
江戸城の始まりは 1457年に太田道灌が築城したのが始まりと言われています。 その後、所有者は転々としますが、豊臣秀吉の小田原攻めにより開城、徳川家康の居城となります。

坂下門
西ノ丸造営時に作られたと言われてます。 宮内庁への出入り口であり通行する事は出来ません。 現在の位置は90度位置が変わっているとも言われてます。
皇居・坂下門

桜田二重櫓(巽櫓)
江戸城で現存する3つの櫓の一つです。 二重櫓は10棟あったそうです。
この櫓が一番よく見える場所にあります。
江戸城跡・桜田二重櫓

大手門
江戸時代前期に創建された大手門は、江戸城の正面玄関と言った所でしょうか。 現在の大手門は戦災で消失した後、昭和43年に再建された物です。 また、現在は改修工事中であり、平成27年9月に完了する予定です。
江戸城跡・工事中の大手門

同心番所
同心が詰めていた番所です。 主に大名の供を監視していました。
番所は城の奥に行くほど高い役職の役人が詰めていました。 かつては同心番所の前には橋があり、御三家を除く大名は徒歩で渡ったそうです。
江戸城跡・同心番所

百人番所
本丸から二の丸への間にある三之門の前にあった番所です。
各組、同心100人で構成される、甲賀、伊賀、根来(ねごろ)、二十五騎の4組が交代で詰めていました。 長さ50m以上の大きな建物です。
江戸城跡・百人番所

江戸城跡・百人番所

大番所
江戸城本丸へ入る最後の番所であり、位の高い同心、与力によって警備されていました。
江戸城跡・大番所

中雀門跡
この門の警護は御書院番が行っており、御書院門の方が正確な名称なのかもしれません。 御書院番とは、将軍直属の親衛隊になります。 門自体は 1863年の大火で消失してしまい、石垣のみが残っています。
江戸城跡・中雀門跡

江戸城跡・中雀門跡

富士見櫓
現存する3つの櫓の一つですが、江戸城の三重櫓で現存するのは富士見櫓のみであり貴重な建物と言えます。 明暦の大火(1657年)で天守閣消失後は天守閣の代用として使用された事もあったようです。  
江戸城跡・富士見櫓

松の大廊下跡
赤穂浪士で有名な松の廊下はこの場所にありました。 現在は石碑が建つだけですが、江戸城中で2番目に長い廊下した。
江戸城跡・松の大廊下跡

富士見多聞
「多聞」とは、石垣の上に建てられた防御用の長屋の事です。 残念ながら、東御苑内からはそれほど良く見えません。 内部には鉄砲や弓矢が納められていたそうです。
江戸城跡・富士見多聞

石室
正確な用途ははっきりしないようですが、大奥用の調度品などを保管していたのではと考えられています。 内部は20平方メールあります。
江戸城跡・石室

江戸城跡・石室

天守台
江戸城の天守閣は明暦の火災(1657年)で消失しているので残っていません。 現在の天守台は再建を目指して火災の翌年に築かれた物です。 しかし、城下の復興を優先する為、天守閣は再建されませんでした。
江戸城跡・天守台

石垣に使用されている石が綺麗に加工されています。 天守台は、明治時代には気象観測に使用されていた事もあるそうです。
江戸城跡・天守台

汐見坂
本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。 坂の上に汐見坂門があったとの事なので、おそらくこの辺りではないでしょうか。
江戸城跡・汐見坂

諏訪の茶屋
この辺りは元々二の丸御殿があった場所です。
諏訪の茶屋は、皇居東御苑の整備の際に吹上御庭から移築した物です。 また、建物自体も明治45年に再建された物です。
江戸城跡・諏訪の茶屋

江戸城跡・諏訪の茶屋

二の丸庭園
造園開始は1608年でしたが明暦の大火によって消失しました。 その後、元の位置より南側の現在の位置に作りなおされました。
昭和42年に、遺構を元に復元整備されたのが現在の庭園になります。
江戸城跡・二の丸庭園

北桔橋門
ちょうど大手門の反対側にある入り口になります。 当時は跳ね上げ式の橋であり、江戸時代はほとんど上げた状態だったそうです。
江戸城跡・北桔橋門

北桔橋門から見た堀の様子です。 江戸城の石垣は本当に美しいです。
江戸城跡・堀

最後に園内の自然を..。
ちなみに100名城のスタンプ置き場は皇居東御苑内ではありません。
自分は和田倉噴水公園レストランで押しました。
江戸城跡・植物

江戸城跡・植物

江戸城跡・竹林