山梨県 要害山城2019年11月02日

1519年、武田信虎によって詰城として築城された山城です。 今川氏が甲斐に侵攻してきた時、正室の避難所として使用され、要害山で武田信玄は生まれたと伝わります。
武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)が使用した城で、武田氏滅亡後も使用されますが関ヶ原の戦い後に廃城になります。

藤村記念館(旧睦沢学校校舎)
続100名城のスタンプが置かれているので先に訪問します。 バイクは甲府駅北口第2駐車場の駐輪場に止めました。 当日はイベントが行われていたので 11時過ぎには既に満車状態でした。
この建物は 1875年(明治8年)に睦沢学校の校舎として建てられ、1957年まで学校として使用されました。 老朽化により解体されそうでしたが 1966年に武田神社内に移築、2010年に現在の位置に移築されます。
藤村記念館

藤村記念館

藤村記念館

藤村記念館

要害山の駐輪場
県道31号沿いにある要害山の登山口付近にある駐車場です。
かなり傾斜のある駐車場で、バイクを止めるのに躊躇しました。 黒部ダムの駐輪場よりも恐怖感を感じました。 危ないので、駐車場の端の方で坂上にバイクを頭を向け、ローギヤにいれて駐車しました。
要害山・駐車場

要害山城への登山口は少し分かりにくかったです。
この細い登り坂が登山道で、この道で合っているのか不安になりました。
しばらく登山道を登ると「史跡境界」の立て札が見えてきます。 そこから先が史跡として管理されている範囲と言う事でしょうか?
要害山・入り口

要害山・史跡境界

途中、竪堀を横切っていたようですが、草が伸びすぎていて地形が分かりません。
ここにも竪堀があるようですが、どの辺なのか判断できませんでした。 ただ、竪堀奥の土塁ははっきりしており保存状態が良いみたいです。
要害山・土塁

門跡
門があったとされる場所で、両側が土塁のように盛り上がっています。
また、両側には石垣の痕跡も残っています。
門跡としては、比較的分かりやすい場所かも知れません。
要害山・門跡

要害山・門跡

台風の影響と思われる倒木が登山道を塞いでいました。
ただ、それなりの隙間があるので通行する事は可能です。 早く撤去されると良いですね...。
要害山・倒木

不動曲輪
要害山の中腹にある曲輪です。
江戸時代後期に建てられた武田不動尊から「不動曲輪」と呼ばれているそうなので、廃城後に付けられた名称のようです。 信玄自身も不動尊を祀っていたようなので、不動明王と信玄が合体した感じでしょうか? 剣では無く軍配を持っているのも特徴的です。
要害山・不動曲輪

要害山・不動曲輪

不動曲輪を過ぎると井戸方向への横道があります。
ここは人通りが少ないようで藪の中を進む事になります。 距離はたいした事はありませんが、道が辛うじて分かる感じです。 マダニとかが心配ですし、井戸に着いてもその先は行き止まりです。
要害山・井戸へ

井戸と諏訪神社
思ったよりも小さな井戸でした。
築城の際、諏訪明神に祈った事から「諏訪の水」と呼ばれているそうです。 井戸の横には諏訪明神の小さな祠がありました。 お供えもあり、ちゃんと手入れされているようです。
井戸周辺は広い空間ができているので、この辺りも曲輪として機能していたのだと思います。
要害山・井戸

要害山・諏訪明神

門跡の石垣や曲輪
登城路に戻り、主郭を目指します。
この辺りから門跡や石垣跡が多くなります。 また、門の先には曲輪があり、徐々に大規模な物になってきます。 でも、曲輪は草が多すぎて分かりにくいですね...。
要害山・門跡の石垣

要害山・曲輪

門跡
右側に大きな土塁があり、土塁の上にも広々とした空間があります。
ここで門を突破できずにもたついている敵を土塁の上から攻撃する構造なのかも知れません。
尾根沿いに門や大小様々な曲輪が連なる構造になっているようです。
今までの門跡と比べると、大規模な印象を受けます。
要害山・門跡

主郭正面側の門跡
虎口の形状が分かりやすかった内側からの写真です。
ここが主郭正面入り口の門があった場所で、石垣の跡も残っています。
ここまで辿り着くには何個もの門や曲輪を突破する必要があります。
要害山・正面側の門跡

要害山・正面側の門跡

主郭
結構な山奥ですが、山頂の主郭は東西 73m、南北 22m ある大きな物でした。
庭園があった痕跡も見つかっているようで、これだけの広さなので何等かの屋敷があったと思います。 周辺の土塁も残っているのですが、雑草が多すぎて分かりにくい状況でした。
曲輪には「信玄誕生の地」の石碑もありました。
要害山・主郭

要害山・信玄誕生の地

搦手口側の門跡
こちらが主郭の裏口になる場所で、門があったようです。
草が多くで分かりにくいのですが、周辺の土塁は結構残っていて、ここだけ土塁が途切れています。
搦手口側の門跡

堀切
主郭の搦手口と思われる出入口から出て少し歩くと堀切がありました。
大規模な堀切で、石垣を使って補強されています。 この堀切の先には曲輪等は無さそうですが、この先はもう山しか無いので攻めてくる事は想定していないのかも知れません。
要害山・堀切

要害山城と同時期に武田氏館も築かれており、要害山城の近くにあります。
要害山城や武田氏館は政務を行ったと思われる居館と詰城の役割や、それらの位置関係が分かりやすい場所なのかも知れません。