高知城2015年09月22日

高知城は本丸を構成する建築物が現存する、日本唯一の城郭です。
元々この地域は水害が多く、築城は困難だったようです。 関ケ原の功績により山内一豊が国入りし、1601 年から築城を開始しました。 一豊は浪人中だった百々安行を家臣として迎え築城を命じますが、完成には10年の歳月が必要でした。

都心部の城郭は例外なくバイクの駐車場所に苦労します。 高知城周辺の駐車場で聞いた所、高知県庁の駐輪場に止めらる事が判ったのでそこに駐車します。
高知県庁の駐輪場

追手門
現在の建物は 1664 年に再建された物で、遠くに天守が見えます。 天守と追手門がそろって残っているのは日本に三ヶ所しかないそうです。 江戸時代の人々もこんな感じで天守を眺めてたのかも知れません。
高知城・追手門

石樋(いしどい)
天守に向かって坂を登っていくと石垣から見慣れない突起物が出てました。
石樋は、排水が直接石垣に当たらない様にして地面を保護しています。 雨の多い土佐独特の設備らしく、他の城では見た事がありません。
高知城・石樋

杉ノ段へ
杉ノ段へ通じる階段からの眺めですが、存在感の大きい天守です。 この先の階段を登ると杉ノ段です。 
高知城・天守

杉ノ段から見た三の丸の石垣です。 野面積みのようですが、綺麗に積まれてます。 平成 12 年に修繕工事をしたようなので、そのせいかも知れませんが...。
高知城・三の丸の石垣

鉄門跡
昔は両側の石垣をまたぐように入母屋造りの二階建ての門があったそうです。 本丸に通じる道の重要な門で、内側には番所もあったようです。
今は案内以外は何も無いので、皆、素通りです。
高知城・鉄門跡

詰門
本丸と二ノ丸を繋ぐ役割をしている門です。 
見た感じ、2階建てに見えますが、内部は三層構造の様です。 1階は貯蔵庫、中二階は物置、二階部分を通って本丸へ移動します。
正直、自分がどの部分を通って本丸に移動したのか今でも良く解りませんが、右側の方から二階部分を通過したのだと思います。
詰門

高知城・詰門

二ノ丸へ向かう途中ですが、この位置から見ると、望楼型天守の構造が良く解ります。 三層六階建の天守で、現在の姿は 1749 年に再建された物です。 江戸時代に入ってからは層塔型で再建するケースが多い様に思え、当初の様式踏襲して再建したのは珍しいかも知れません。
高知城・天守

二ノ丸
今は休憩所のような広場ですが、この辺りに二ノ丸がありました。
二ノ丸には二ノ丸御殿と奥御殿が建てられており、総面積は 1,233 平方メートルもありました。 建物は明治6年に公園化する為撤去されました。
高知城・二ノ丸

廊下門
二ノ丸から先ほどの詰門の中を通り、本丸前へ出ます。 振り返るとそこは廊下門? 構造が複雑で良く解らん...
高知城・廊下門

帰りに二ノ丸から見た図。 詰門が廊下門を突き抜ける様に配置されてるのがわかります。 詰門本丸側の不自然な階段はこの構造のせいだった様です。 城の構造は複雑です...。
高知城・詰門と廊下門

本丸御殿
天守に到着しました。 入口で 100 名城のスタンプを押して、まずは本丸御殿へ向かいます。 本丸御殿では、当時の駕籠や欄間が展示されてました。
本丸御殿が建てられたのは 1603 年ですが火災で焼失、現在の建物は 1749 年に再建された物です。 本丸御殿は、初代藩主山之内一豊夫妻が一時期住んでいた事もあったようですが、特別な儀式以外ではあまり使用されなかったようです。
高知城・天守

高知城・本丸御殿

高知城・本丸御殿

天守側へ向かいます。
高知城の天守には天守台がなく、北側の石垣に直接建てられています。
高さは 18.5 m あり、二階大屋根と最上層に銅製の鯱があります。
高知城・天守内部

高知城・天守内部

高知城・天守内部

高知城・天守の鯱

高知城・天守からみた風景

天守から戻ってくると、日時計が昼時を伝えていました。 そろそろ出発せねば。
高知城・日時計

高知城は野面積みの中心のようですが、かなりの高さまで積まれている場合もあり、かなり高い技術を持っていた事が見て取れます。
そんな石垣を見ながら次の城に向かう為、駐車場に戻りました。
高知城・石垣