宮城県 白石城2019年08月24日

戦国時代、白石城があるこの地域は伊達政宗が支配していましたが、豊臣秀吉の奥州仕置により没収され蒲生氏郷に与えられます。 白石城は、1591年に氏郷の家臣、蒲生郷成によって築城されますが、その後、上杉景勝が所領する事になります。
1600年の関ケ原の戦いで伊達政宗によって白石城は攻略され、この地域は再び伊達氏の支配下になります。 1602年には伊達氏の家臣、片倉小十郎が城主となり、幕末まで片倉氏が城主を務めます。

白石城下広場駐車場
バイクは白石城東側にある白石城下広場駐車場に停めました。 かなり広い駐車場でした。
地図を見た感じでは周辺に他の駐車場もありそうで、駐車スペースは十分かと思います。
宮城県の訪問は6年ぶりなので久しぶりです。
白石城下広場駐車場

東口門跡
正式名は「二ノ丸大手二ノ門」だそうで、先程通ってきた市役所の辺りは二ノ丸だったのかも知れません。 昔の絵図では2階部分に格子窓がある門として描かれているそうです。
廃城後、専念寺に売却された後、東信寺の山門として移築されており、門は現存しているようです。
白石城・東口門跡

東口門の近くには本丸外郭の石垣の一部が残されています。
明治維新後、片倉家と家臣は北海道へと移住する事になります。 片倉家は費用を捻出する為に白石城を売却します。 売却された白石城の石垣は基礎部分を残して解体されてしまいました。
白石城の石垣は何度も修復されているので、年代によって積み方が異なります。 矢穴の跡がある事から自然石では無く切り出した石のようです。 積み方的には打ち込みハギでしょうか?
白石城・本丸外郭石垣

白石城・本丸外郭石垣

さらに先に進むと石垣の上に大手二ノ御門が見えて来ました。
白石城は 1823年頃の姿を目指して 1997年に復元されました。 天守は石垣ごと撤去されたようなので、この石垣も復元された物かも知れません。
白石城・大手二ノ御門

本丸には大手門から入らずに、寄り道をして裏御門から入る事にします。
天守石垣も復元された物ですが野面積で復元されています。 自然石をそのまま使う野面積による復元は難易度も高く、全国でも珍しいようです。
先程の大手二ノ御門付近の石垣も復元だとした場合、石垣を積む技法を変えているように思えるので、復元に対する強いこだわりを感じます。 手前にあるのは復元された井戸屋形。
白石城・天守と井戸屋形

白石城・天守

二ノ丸跡
白石城の西側には益岡公園があり、その辺りは二ノ丸だった場所です。
多分、何かしらの建物があったと思いますが、よくわからなかったです...。
公園には地元出身の第18代横綱「大砲」像がありました。 少年の頃に 60 kg の米俵を両手に掲げて運んでいたとか...。 身長 198 cm もある巨漢力士でした。
白石城・二ノ丸跡

白石城・大砲萬衛門像

馬場跡
駐車場やトイレがある辺りが馬場があった場所です。
馬場って事は、この辺りで馬術の訓練や調教をしていたって事でしょうか...。
ここを馬が全力で疾走していたのかも知れません。
白石城・馬場跡

裏御門跡
この先が本丸になります。 この辺りが裏口といった所でしょう。
パンフレットに記載されていた模型図では、裏御門は立派な櫓門で描かれています。
今の姿から当時の様子を想像するのは難しそうです...。
白石城・裏御門跡

本丸
ここには立派な御殿がありました。 御殿は「御成御殿」、「表御殿」、「奥向御殿」の三つの区画で構成されていました。 「御成御殿」は藩主伊達家の宿泊施設、「表御殿」は片倉家の公的な対面場、「奥向御殿」は片倉家の生活空間でした。 南東側には池や茶室もありました。
白石城・本丸

天守
続100名城のスタンプはここの受付に置かれています。
天守は 1997年に木造建築で復元されています。 東北地方の厳しい風雪にも耐えられるよう、資材にもこだわっており、調達が困難な国産檜が使用されています。
天守の復元も最近は鉄筋コンクリートから、当時の技術を生かした木造建築に移りつつあるようですが、資材の調達が一番の課題になるかも知れません。
白石城・天守

白石城・天守内部

白石城・天守内部

本丸井戸
古い絵図にも記録されているそうです。
復元された物でしょうか? でも、ロープが張ってあるから、当時の井戸穴が開いているのかも知れません...。
白石城・本丸井戸

鐘堂
白石城の復元建物は、ほとんどが城漆喰なので、板壁のこの建物は違和感を感じます。 ただ、白石城は忠実に再現されている感じがするので、当時もこんな感じだったのかも知れません。
この位置に鐘堂があった事は発掘調査により判明しているようで、緊急時や堀掃除の時間を伝える時などに鐘が撞かれていたようです。 1661年に片倉景長が再鋳した鐘は傳来寺境内に現存するとの事なので、ここにある鐘は最近鋳造された物でしょうか?
白石城・鐘堂

白石城・鐘堂

大手二ノ御門
天守と同時期に復元された櫓門です。
大手二ノ門では材料となる国産檜が調達できず、台湾から輸入した材木が使用されています。
国産の木材でこの規模の建物を建てるのは難しいのかも知れません。
白石城・大手二ノ御門

大手一ノ御門
大手門は桝形虎口になっており、こちらは外側にある大手一ノ門。
白石城・大手一ノ御門

この後、白石城歴史探訪ミュージアムで資料を見学してから帰りました。
基本的に「復元された城」なのだと思いますが、忠実に再現している点が素晴らしかったです。