沖縄県 首里城周辺2023年03月20日

中城城の見学の後、行きと同じ 30系のバスで那覇バスターミナルに戻り、そこから先日訪問した首里城に再びやってきました。 首里城周辺を散策します。

国王頌徳碑
首里駅から首里城に向かって歩いてる途中にありました。
国王尚清が弁ヶ嶽への道を石畳に整備した功績を称えた、1543年に建立された石碑です。
但し、当時の物は沖縄戦で破壊されてしまいました。 この石碑は、辛うじて残った石碑の一部や、同年代の石碑を参考に復元された物です。
良く見ると、ひらがなで彫られていて意外と読めます。
首里城周辺・国王頌徳碑

上の毛
首里城の東端にある石灰岩台地が「上の毛」です。 「うぃーのもー」と読むそうです。
首里城が整備される前は「グスク」として使用されていたようですが、首里城の整備が進むと切り離されたようです。 利用用途が、あまり分かって無いようで、出城のような使い方をされた可能背もあるようですが、東西に2つの御嶽があったようです。
気になったので、坂を登って入ってみましたが、まぁ、今は普通の公園です...。
首里城・上の毛

首里城・上の毛

首里城外郭の石垣を楽しみながら先に進みます。
石垣の曲線が良いですね。
首里城の石垣

首里城の石垣

首里城の石垣

円覚寺跡
1492年から 3年をかけて尚真王が、父の尚円を祀る為に創建した寺院でした。
鎌倉の円覚寺をならった禅宗七堂伽藍の様式でした。 立派な寺院でしたが沖縄戦でほとんどが破壊さました。 現在の総門と掖門は、1968年に復元された物です。
まさか、沖縄で「円覚寺」と言う名を聞くとは思いませんでした。
首里城・円覚寺跡

左奥に見える、アーチ門が掖門。 掖門は、総門の両脇にあります。
この寺院の作りが少し変わっていて、堀底のような低い場所に総門があります。
首里城・円覚寺跡・掖門

アカギの大木
戦前は首里城の城壁まで枝を伸ばす大木でした。
しかし、沖縄戦で焼けてしまい、幹の部分だけが焼け残りました。
現在はアコウが締め付けるように絡みついてますが、そのおかげて倒れずに済んでいます。
この木も戦争の犠牲者と言えます。
首里城・アカギの大木

第32軍トーチカ跡
アカギの大木の裏側辺りにあります。 近くには軍司令部壕もありますが、入り口付近の道路を工事していたので入れませんでした。
32軍は沖縄の防衛を担う部隊でしたが、戦況が悪化すると拠点を放棄して南部へ撤退します。
しかし、撤退した軍を追うように住民も避難した為、一般人が戦闘に巻き込まれる事となり、多くの犠牲者が出る事になります。
首里城・第32軍トーチカ跡

園比屋武御嶽石門
王府の祈願所だった園比屋武御嶽の石門です。 この門は世界遺産に登録されています。
この門は、神社の拝殿に相当する物で、本殿に相当する建物は存在しません。 門の先には森林が広がり、森林自体が御神体なのかも知れません。
石門は 1519年に創建された物ですが、沖縄戦で大きく損壊します。 1957年に復元され、1986年に解体修理されています。
首里城・園比屋武御嶽石門

弁財天堂
円鑑池の中にある建物が弁財天堂で、奥に見える橋が天女橋です。
15世紀中頃に朝鮮半島の王から贈られた経典を納める為に御堂が建立されました。
しかし、1609年の薩摩の琉球侵攻により、御堂と経典は失われます。
御堂は 1621年に再建され、円覚寺の弁財天像が本尊として安置されます。 その頃から弁財天堂と呼ばれるようになります。
沖縄戦では弁財天堂も天女橋も破壊され、1969年に復元されます。
首里城周辺・弁財天堂

首里城周辺・弁財天堂

首里城周辺の池を散策していると、ゴッついアヒルのような鳥が大量にいます。
バリケンと言うカモ科の鳥のようですが、人をまったく恐れません。 平気で人の前を横切ります。
首里城のバリケンは、家畜として飼われていたのが逃げ出して野生化したようです。
これも外来種の扱いですかね...。
首里城周辺・バリケン

龍淵橋
1502年に架けられた、円鑑池と龍潭の間にある橋です。 首里城から浦添に向かう街道の一部でもありました。 沖縄戦で損壊し、現在の橋は戦後に復元された物です。
ただ、説明には「アーチ型の石橋」とあったので、当時の姿とは異なるのかも知れません。
首里城周辺・龍淵橋

龍潭
尚巴志王の命によって作られた池のようです。
水面ギリギリの場所を歩く事が出来ます。 完全にバリケンの住家でした。
首里城周辺・龍潭

首里城周辺・龍潭

このまま首里金城町石畳道の方に行ってしまったのですが、後から思うと首里城南側の石垣を見に行っても良かったかなと思いました。
まぁ、やり残した事がある方が、また来るきっかけになるので良しとしましょう。